磯村 春子(読み)イソムラ ハルコ

20世紀日本人名事典 「磯村 春子」の解説

磯村 春子
イソムラ ハルコ

明治・大正期の新聞記者 NHK朝の連続テレビ小説はね駒」のモデル。



生年
明治10(1877)年3月16日

没年
大正7(1918)年1月31日

出生地
福島県相馬郡中村町(現・相馬市)

旧姓(旧名)
小泉

別名
別名=磯村 はる(イソムラ ハル)

学歴〔年〕
宮城女学校(現・宮城学院大学)本科〔明治32年〕卒

経歴
宮城女学校で英語を学んだ後、明治35年頃上京し貿易会社を経営していた磯村源透と結婚。原書翻訳などを手伝う傍ら日本女子大英文科に入学、その後津田塾大学にも学び英語力を磨く。長男出産後の38年に東京の「報知新聞」に記者として入社、婦人問題を担当し、女性新聞記者の草分けとなる。以来、8人の子供を産み育てながら新聞記者を続け、子供を背負いながら取材に歩く姿が漢字のルビに似ていると“ルビ記者”と呼ばれて活躍した。のち「やまと新聞」に移る。この頃から日本文学の外国紹介を手がけ、国木田独歩、徳田秋声などの作品を翻訳した。また、女学校時代に入信したキリスト教(オランダ系プロテスタント)を精神的背景に布教活動にも熱心に取り組み、品川御殿山の自宅近くに教会(御殿山教会)も建設戦災で焼けるまで、異色の教会として知られた。著書に「今の女」(大正2年)がある。昭和61年その生涯が「はね駒」と題してドラマ化されNHK朝の連続テレビ小説になる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「磯村 春子」の解説

磯村春子

没年:大正7.1.31(1918)
生年:明治10.3.16(1877)
明治大正期のジャーナリスト。福島県生まれ。小泉伊助とカツの長女。宮城女学校(宮城学院大)で学び,受洗。卒業後母校で教師。実業家磯村源透と結婚。東京で乳飲み子を抱えて『報知新聞』の記者となり「ルビつき記者」といわれる。『やまと新聞』に移り,日本近代小説の英訳を目指していたが病死。著書『今の女』は彼女が書いた記事と自伝「婦人記者の十年」をおさめたもの。<参考文献>磯村英一『実録はね駒』

(中村幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「磯村 春子」の解説

磯村春子 いそむら-はるこ

1877-1918 明治-大正時代の新聞記者。
明治10年3月16日生まれ。磯村英一の母。母校宮城女学校(現宮城学院女子大)の教師をつとめ,上京して津田梅子に師事。明治38年「報知新聞」記者となり,のち「やまと新聞」にうつる。昭和61年NHK朝のテレビ小説「はね駒(こんま)」の主役のモデル。大正7年1月31日死去。42歳。福島県出身。旧姓は小泉。著作に「今の女」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「磯村 春子」の解説

磯村 春子 (いそむら はるこ)

生年月日:1877年3月16日
明治時代;大正時代のジャーナリスト;新聞記者
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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