(伊藤嘉章)
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京都楽家(田中姓)の初世とされる陶工,またその作になる茶碗をいう。1516年(永正13)京都に生まれたとする説もあるが,明らかではない。楽焼(らくやき)の創始は千利休の創意によるもので,天正年間(1573-92)中ごろには長次郎によって作られたとされている。伝世する作品は意外に多く,黒楽,赤楽の茶碗を主に飾瓦,香炉,皿,焙烙(ほうろく)などがあるが,ことに茶碗では作行きの違いによっていくつかのタイプに分けられる。1688年(元禄1)に楽宗入によって記された文書によれば,初代長次郎の時代には,他に宗慶,宗味などの存在が認められ,これらの人物による作品も〈長次郎焼〉とされたようである。長次郎焼の茶碗は内抱的な造形のものが多く,胎土は一般に聚楽土と呼ばれる赤土が用いられ,赤楽,黒楽ともに総釉となっているのが通例である。代表的な茶碗として,黒楽には〈大黒〉〈東陽坊〉〈雁取〉〈北野〉〈俊寛〉などがあり,赤楽には〈無一物〉〈一文字〉〈太郎坊〉〈二郎坊〉などがあげられる。また初代長次郎作の茶碗から利休が7種を選んだとされる〈長次郎七種〉は,〈大黒〉〈東陽坊〉のほかに,黒楽では〈鉢開〉,赤楽では〈早船〉〈臨済〉〈検校〉〈木守〉で,利休七種とも呼ばれ,3代のんこう(道入)の時代からはそれらの写しが作られた。なお楽家2代は一般に常慶(宗慶の二男)とされている。
→楽焼
執筆者:赤沼 多佳
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生没年不詳。室町末期から桃山前期(16世紀)の陶工。京都楽焼(らくやき)の祖。わびの茶の湯が成立し、その美意識にかなう国産の茶碗(ちゃわん)が求められる当時の風潮のなかで、千利休(せんのりきゅう)に指導され、鉛釉のかかった黒楽・赤楽茶碗をつくりあげた。長次郎の出自を中国あるいは朝鮮半島とする説があるがさだかではない。系譜では、「あめや」と称する人物から長次郎に受け継がれている。元禄(げんろく)元年(1688)銘記のある楽宗入の『覚』(楽家伝存文書)によると、長次郎のほかに田中宗慶(そうけい)、庄左衛門(しょうざえもん)、宗味(そうみ)、吉左衛門(きちざえもん)、常慶(じょうけい)の名が記されている。今日一般には初代長次郎、2代常慶(宗慶の子)として楽家歴代を数えている。文書から察するに、当時楽焼陶房ではこれらの人々が同じくして作陶していたと考えられる。
長次郎は利休の要請で聚楽第(じゅらくだい)の名に由来する聚楽焼を創始し、中国華南の三彩(交趾(こうち)焼)の技術をもとに楽焼を完成させたとみられる。「聚楽茶碗」略して「楽茶碗」として先の人々と共同制作し、1586年(天正14)には宗易(そうえき)形(利休形)の茶碗を焼造し、利休の理念を具象化したものとして以後わび茶の世界で賞玩(しょうがん)された。当時美濃(みの)焼でも独自の茶碗が焼かれており、国産茶碗が急速に人気を高めた時期にあって、長次郎の活躍はその頂点に位置したといってよい。作風は内在的な強さに支えられた無作為な造形性を特色とし、代表作に黒楽茶碗「銘大黒(おおくろ)」、赤楽茶碗「銘無一物(むいちもつ)」(ともに重要文化財)がある。
[矢部良明]
『林屋晴三編『日本陶磁全集 20 長次郎』(1976・中央公論社)』
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