黒川亀玉(初代)(読み)くろかわ きぎょく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒川亀玉(初代)」の解説

黒川亀玉(初代) くろかわ-きぎょく

1732-1756 江戸時代中期の画家
享保(きょうほう)17年10月28日生まれ。狩野(かのう)休真らにまなぶ。のち清(しん)(中国)の沈南蘋(しん-なんぴん)にあこがれて花鳥画をえがき,南蘋派の代表的画家とされた。宝暦6年6月25日死去。25歳。江戸出身。名は安定。字(あざな)は子保。通称は観五郎。別号に商山処士など。代表作に「芭蕉(ばしょう)孤鶴図」。

黒川亀玉(2代) くろかわ-きぎょく

1754-1814 江戸時代中期-後期の画家。
宝暦4年生まれ。江戸の人。初代黒川亀玉養子といわれるが,初代の実弟説もある。花鳥画や山水画を得意とした。文化11年1月25日死去。61歳。本姓松田。名は英。字(あざな)は士雲。通称は左膳。別号に松蘿館。

黒川亀玉(3代) くろかわ-きぎょく

?-? 江戸時代後期の画家。
2代黒川亀玉の子。父にまなび,花鳥画,山水画などをえがいた。文政(1818-30)のころに没したという。名は徳邦。通称は右膳。別号に台岳(学)山人

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朝日日本歴史人物事典 「黒川亀玉(初代)」の解説

黒川亀玉

没年:宝暦6.6.25(1756.7.21)
生年:享保17.10.28(1732.12.15)
江戸中期の南蘋派の画家。名は安定。字は子保。亀玉,商山処士などと号した。江戸の人。画は幼くして狩野休真,岡本善悦に学んだのち,南蘋画風を独習。作品に「蕉陰僊羽図」(東京国立博物館蔵)。指頭画も描いた。

(武田光一)

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