ブラック(英語表記)black

翻訳|black

デジタル大辞泉 「ブラック」の意味・読み・例文・類語

ブラック(black)

[名]
黒。黒色。
黒人。黒人種。
コーヒーに砂糖およびミルクやクリームを入れないこと。また、そのコーヒー。ブラックコーヒー。
多く複合語の形で用い、暗黒の、正体不明の、不正の、などの意を表す。「ブラックマネー」
ブラック企業」「ブラックジョーク」「ブラックユーモア」などの略。
[名・形動]腹黒い。よこしまな。「ブラックな性格」
[類語]真っ黒いか黒い黒い黒黒黒ずむどす黒い浅黒い色黒真っ黒け真っ黒黒っぽい漆黒黒み黒色こくしょく墨色赤黒い青黒い黒む純黒直黒ひたぐろ鉄色煤色すすいろ烏羽からすばからすの濡れ羽色がんぐろ薄黒い黒変黒ばむ真っ暗暗闇真っ暗闇暗黒墨染めダーク

ブラック(Joseph Black)

[1728~1799]英国の化学者。フランスの生まれ。普通の空気と異なる気体として二酸化炭素を初めて区別し、化学反応を定量的に明らかにした。また熱現象を研究し、潜熱・比熱を発見。

ブラック(Georges Braque)

[1882~1963]フランスの画家。フォービスムを経て、ピカソとともにキュビスムを創始。のち、具象性を帯びた独自の画風を確立した。作「ギターを持つ女」など。

ブラック(John Reddie Black)

[1827~1880]英国のジャーナリスト。1861年(文久元)来日し、英字週刊紙「ジャパンヘラルド」、邦字新聞日新真事誌」などを創刊、日本の非近代性を論評。著「ヤングジャパン」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ブラック」の意味・読み・例文・類語

ブラック

  1. [ 一 ] ( Georges Braque ジョルジュ━ ) フランスの画家。印象派・野獣派を経たのち、ピカソとともにキュービスムを創始、その代表的画家となる。第一次世界大戦後、具象性の強い独自の画風へ向かった。作品に「壜とコップ」「ギターを持つ女」など。(一八八二‐一九六三
  2. [ 二 ] ( John Reddie Black ジョン=レディ━ ) 日本の新聞の先覚者。イギリス人。幕末に来日し、横浜で「ジャパン‐ヘラルド」「ジャパン‐ガゼット」主筆となり、のち、英字雑誌「ザ‐ファー‐イースト」を創刊。明治五年(一八七二)邦字新聞「日新真事誌」を発刊。著書「ヤング‐ジャパン」。(一八二七‐八〇

ブラック

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] black )
  2. 黒。黒いこと。黒い色。
  3. コーヒーにミルクや砂糖を入れないこと。また、そのコーヒー。
    1. [初出の実例]「コーヒーはブラックを飲む様に致します」(出典:モダン化粧室(1931)〈ハリー牛山〉)
  4. 印刷で、肉太の活字。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブラック」の意味・わかりやすい解説

ブラック
Georges Braque
生没年:1882-1963

フランスの画家。ピカソと並ぶキュビスムの創始者。アルジャントゥイユに生まれ,ル・アーブルで育つ。父の家屋塗装業を継ぐために徒弟奉公に出るが,彼は後にこの技術をキュビスムのトロンプ・ルイユに役だてる。1902年,画家を志してパリのアカデミー・アンベールに通う。初め印象派に倣うが,05年からフォービスムの傾向に転じ,さらに07年にセザンヌの影響から画面構築への関心を高める。同年ピカソと会い,その《アビニョンの娘たち》を見たのが彼の芸術の大きな転機となり,翌年から共同でキュビスムの造形革命を創始した。10年ころ以降,主題は風景画から静物画にうつり,楽器や花など身辺のオブジェを扱う。また13年ころ,画面に新聞紙や壁紙などを貼りつけたパピエ・コレpapier collé(コラージュ)を制作。14年までのキュビスムの論理的展開を主導したのが2人のどちらであったかは説の分かれるところである。14年,第1次大戦開戦により召集され,翌年負傷。22年から〈カネフォロス〉の連作により古典的主題に傾く。29年の《円卓》は,絵画に現実性を取りもどそうとする〈総合的キュビスム〉の帰着点と見ることができる。

 ブラックは生涯を通じて絵画空間の問題に取り組んだ。とくに39年の《二重奏》により室内空間の探究を始め,40年代末から50年代半ばにかけての〈アトリエ〉の連作を経て,精神的空間ともいうべき仮想空間に飛翔する鳥の表現に到達する。ここで彼は,対象どうしをも,また対象と自分とをも隔てることのない,一つの理想的調和を実現する空間を見いだしている。〈この調和に達したとき,人は一種の虚無の状態に到達する。そのときすべてが可能となり,すべてが正当となり,生命は永遠の啓示となる〉。これは,彼が芸術を通じて得た宗教的認識であったといえよう。
執筆者:


ブラック
Hugo La Fayette Black
生没年:1886-1971

アメリカの法律家。アラバマ州生れ。1906年アラバマ大学ロー・スクールを卒業。同州で弁護士実務に従事した後,アラバマ州選出上院議員(1927-37),合衆国最高裁判所裁判官(1937-71)を務める。最高裁裁判官に指名されたとき,上院でのその承認に際して彼がかつてクー・クラックス・クランに属していたのではないかという疑いが出され,問題となった。しかし就任後は,リベラル派の代表者の一人となった。彼は,憲法の解釈に当たって,第1に憲法の文言を重視すべきだとする。例えば,言論の自由についていっさいの制限を認めないとする彼の立場は,憲法第1修正に言論の自由が制限されることがありうることを示す文言がないことをよりどころの一つとしている。憲法の文言が明確でない問題については,制定当時の意図によるべしとする。この点で,彼は判決の中で歴史に関する資料をよく引用したが,なかには我田引水的な引用と思われる点もある。全体としてみれば,W.O.ダグラスと同じ立場に立っていたが,例えば憲法に明文のないプライバシー権を認めるのに反対したことにみられるように,ときにダグラスと意見を異にしたことの一因は,このような憲法の文言重視という基本的立場にある。
執筆者:


ブラック
John Reddie Black
生没年:1827-80

日本の新聞草創期のジャーナリスト。スコットランドに生まれる。海軍士官であったが,のちオーストラリアで商業に従事し,帰国の途次,来日してそのまま滞在,日本で没した。1861年(文久1)11月横浜で創刊された《ジャパン・ヘラルド》の主筆となり,67年(慶応3)同じく横浜の《ジャパン・ガゼット》に移って主筆を務めた。そのかたわら70年には月2回刊の絵入り英文雑誌《ファー・イーストThe Far East》を創刊し,好評を得て76年まで発行を続けた。しかし,彼を有名にした最大の事業は日本語新聞《日新真事誌》の刊行である。72年創刊の同紙は忌憚(きたん)のない論調と整った紙面構成とによって当時の大新聞(おおしんぶん)の模範とされた。なお,遺著《ヤング・ジャパン》も幕末・明治初期の日本の政治社会状況を伝える貴重な記録として高く評価されている。
執筆者:


ブラック
Harold Stephen Black
生没年:1898-1983

アメリカの電気工学者。フィードバック増幅器を発明したことで知られる。マサチューセッツ州レオミンスターに生まれ,ウースター工科大学に学んだ。1921年にベルシステムのウェスタン・エレクトリック社に入り,25年にベル電話研究所に移った。彼は,多チャンネル長距離電話線に挿入される中継器のひずみ低減について研究した。中継器に使用される真空管でひずみが生じても増幅器としては低ひずみとなるように,フィードフォワード増幅器とフィードバック増幅器を開発した。彼のフィードバック増幅器は27年に発表された。フィードバックの原理は,今日まで電話,オーディオなどの音声増幅器だけでなく,産業用,軍事用の各種増幅器,自動制御機器に広く用いられている。ブラックはまた,パルス符号変調方式も研究した。
執筆者:


ブラック
Joseph Black
生没年:1728-99

イギリス,スコットランドの医師,化学者。炭酸ガスの発見者として知られる。フランスのボルドー生れ。グラスゴー大学エジンバラ大学で医学を学び,両大学の教授を歴任する。優れた教師として名声を博す。潜熱と比熱の概念を提唱し(1756-60),J.ワットに影響を与える。結石治療薬の研究中,石灰や炭酸マグネシウムの加熱による重量減少が空気とは異なる気体の放出によることを見いだし,これを固定空気(炭酸ガス)と命名した(1756)。この発見は,空気以外の気体の初めての認識であり,気体化学および定量化学を創始したものである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ブラック」の意味・わかりやすい解説

ブラック

フランスの画家。パリの近郊アルジャントゥイユ生れ。アカデミー・アンベールに学ぶ。初めフォービスムを志向したが,1908年ピカソとともにキュビスムを創始。1913年ころにはパピエ・コレの手法による作品を制作した。のちピカソの情熱的な作風に対し,静物画に理知的で構築的な表現を展開して独自の道を歩んだ。色彩とマチエールの美しさに特徴があり,彫刻,版画でも知られる。
→関連項目エルニクレーラー・ミュラー美術館コラージュセベリーニドアノーブラウエ・ライターブラッサイラ・フレネーローランス

ブラック

幕末〜明治初年,日本で活躍した英国人新聞記者。スコットランド生れ。初め海軍士官。1861年―1862年ころ来日,横浜で週刊《ジャパン・ヘラルド》,のち日刊《ジャパン・ガゼット》(いずれも英字新聞)の主筆をつとめる。1870年半月刊の絵入り英文雑誌《ファー・イースト》を創刊し好評を博した。1872年には当時の大新聞(おおしんぶん)の模範とされた日本語新聞《日新真事誌》(はじめ隔日刊,のち日刊)を発行して日本政府を批判した。このため政府は1875年彼を太政官顧問に迎えて《日新真事誌》から手を引かせた。1876年上海で《ファー・イースト》の新版を発行。横浜で没した。著書《ヤング・ジャパン》(1880年)は幕末維新史の好資料。

ブラック

英国の化学者,物理学者。フランスのボルドー生れ。グラスゴー大学で医学を学び,同大学教授を経て,1766年エディンバラ大学教授。1754年初めて炭酸ガス(固定空気と呼んだ)と空気とを区別し,前者が石灰石,炭酸マグネシウムから生じることを発見。また熱と温度を区別し,潜熱を発見,熱容量の概念を確立するなど熱の定量的研究の基礎を築いた。
→関連項目熱素説

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朝日日本歴史人物事典 「ブラック」の解説

ブラック

没年:明治13.6.11(1880)
生年:1827.1.8
明治時代の新聞発行者。スコットランド生まれ。文久3(1863)年来日。横浜でハンサードの英字紙《The Japan Herald》の共同編集人となる。慶応3(1867)年,日刊英字紙《The Japan Gazette》を発行。明治5(1872)年,邦字紙『日新真事誌』を創刊。7年板垣退助らの「民撰議院設立建白書」を掲載したが,外国人のため筆禍を免れた。8年,政府の策略によって,左院御雇いとなって『日新真事誌』から離れた直後に同紙は廃刊された。その憤懣から9年『万国新聞』を無届けで創刊するが,それも短命に終わった。その後,上海に渡り,英字紙《The Shanghai Mercury》を創刊する。12年に再来日し,著書『ヤング・ジャパン』を執筆した。長男のヘンリーは落語家快楽亭ブラックとして活躍した。<参考文献>『日新真事誌復刻版』,浅岡邦雄「『日新真事誌』の創刊者ジョン・レディ・ブラック」(『参考書誌研究』37号)

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

色名がわかる辞典 「ブラック」の解説

ブラック【black】

色名の一つ。JISの色彩規格では「」としている。一般に、すべての光を完全に吸収し、反射しない色をさす。ただし、これは理論上の黒であって実際にそのような物質は存在しないとされる。そのため、日常生活で「黒」といっている物はすべて「黒のようなもの」ということになる。したがってブラックはブラックであり、ほかの色で形容しようがない。また、ブラックは無彩色であり、ホワイトの対語。このブラックとホワイトはもっとも古く発生した色名の概念とされる。具体的なブラックの色名には煤すすを原料とした顔料のランプブラック(lamp black)がある。炭素が原料なのでカーボンブラックともいえる。

出典 講談社色名がわかる辞典について 情報

化学辞典 第2版 「ブラック」の解説

ブラック
ブラック
Black, Joseph

フランス生まれのイギリスの医師,化学者.固定空気(二酸化炭素)の発見者として知られる.グラスゴー大学で学んだ後,1754年エジンバラ大学より医学で博士号を取得.1756~1766年グラスゴー大学教授,1766~1799年エジンバラ大学教授として多くの後進を育てた.熱学の分野においては,潜熱および比熱の概念を発見した.化学の分野においては,マグネシア・アルバ(水酸化炭酸マグネシウム)の加熱による質量の減少が,通常の空気とは異なる種類の気体の放出が原因であることを見いだし,これを固定空気と命名した.このことは,近代的定量化学の創始と位置づけられるとともに,気体化学研究の幕開けをも意味している.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブラック」の解説

ブラック Black, John Reddie

1827-1880 イギリスのジャーナリスト。
1827年1月8日生まれ。快楽亭ブラックの父。文久元年(1861)来日。横浜で週刊紙「ジャパン-ヘラルド」,日刊紙「ジャパン-ガゼット」の主筆となる。明治5年日本語新聞「日新真事誌」を創刊,政府の政策を批判し,8年政府の干渉により同紙は廃刊となった。明治13年6月11日横浜で死去。53歳。スコットランド出身。著作に「ヤング-ジャパン」。

ブラック Black, Henry James

快楽亭ブラック(かいらくてい-ブラック)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブラック」の解説

ブラック
Georges Braques

1882~1963

フランスの画家。フォーヴィズムの運動に加わったが,1908年「エスタック風景」でピカソとともに立体派の運動を起こす。静物画,人物画が多く,渋い色彩で洗練された知的な画面を構成している。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ブラック」の解説

ブラック
Georges Braque

1882〜1963
フランスの画家
初め野獣派(フォービスム),のちピカソとともに立体派(キュービスム)を創始。第一次世界大戦後さらに新古典派的な平明な画境を開拓。静物画・室内画に特色がある。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「ブラック」の解説

ブラック

生年月日:1836年8月3日
アメリカの歯科医,歯科病理学者,細菌学者
1915年没

ブラック

生年月日:1884年7月25日
カナダの解剖学者,古生物学者
1934年没

ブラック

生年月日:1827年1月8日
イギリスのジャーナリスト
1880年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブラックの言及

【熱】より

… 一方,16世紀の終りころから温度計が使われるようになり,気体の膨張など熱現象の研究がようやく実質的な進歩を始めた。水の量が多いとそれだけ長く火にかけないと湯にならないといった日常経験から,熱の量と熱さ,すなわち温度とが漠然とではあっても意識されていたに違いないが,それをはっきり認識したのはイギリスのJ.ブラックであった。彼はG.D.ファーレンハイトらの研究に手がかりを得て,氷がとけるときに温度が変わらないこと,そのときに必要な熱で同量の水の温度を約80℃上げられることを明らかにし,さらに水の蒸発についても同様の事実を発見した。…

【熱素説】より

…熱現象に関する科学的関心は,17世紀に温度計が開発されて,急速に高まった。18世紀にJ.ブラックが比熱と潜熱を発見して温度(熱さの度合)を熱そのものから区別したことがきっかけとなり,熱自体の量を計ろうとする試みが一般化した。このとき,熱の移動に伴って,その量が保存されると考えられたことから,ブラックは,熱を一種の物質とみなした。…

【キュビスム】より

…キュビスムはまた現実の描写に依存しない自律的存在としての絵画のあり方を明確にし,抽象絵画成立へのひとつの道を開いた。〈キュビスム〉の名は,1908年にG.ブラックが描いた風景画中の家が立方体(キューブ)に近い形態に簡略化されていたことに由来し,本来嘲笑的な呼称であった。 20世紀の初頭,印象主義の諸特徴を温存しながらも自然の構造を概念的にとらえようとしたセザンヌの芸術への注目が,パリの若い画家たちの間に急速に高まった。…

※「ブラック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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