鼈甲斎虎丸(読み)べっこうさいとらまる

改訂新版 世界大百科事典 「鼈甲斎虎丸」の意味・わかりやすい解説

鼈甲斎虎丸 (べっこうさいとらまる)

浪曲家。(1)初代(?-1893(明治26)) 本名伊藤平吉。伊勢四日市の人。吉川竹丸,竹丸の弟子定吉,吉川辰丸などのもとで修業し,養家の家業鼈甲屋にちなんで亭号とした。美声と人品の良さで売り出し,《伊達(だて)騒動》《荒木又右衛門》等を得意とした。(2)2代(1878-1950・明治11-昭和25) 初代門下。吉之助から襲名。のち吉右衛門に3代目を譲って初代鶴堂(かくどう)となった。《村井長庵》《安中草三(あんなかそうざ)》が得意。(3)3代(1885-1938・明治18-昭和13) 本名荒井三郎。2代門下。東家楽燕,木村重友とともに関東三羽烏(がらす)とうたわれた大正・昭和初期の人気者。《伊達騒動》《安中草三》が得意。(4)4代(1897(明治30)- )本名梅原秀夫。3代門下。虎洲,梅原秀夫を経て襲名。《野口英世》《五人の斥候兵(せつこうへい)》《安中草三》などが得意。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鼈甲斎虎丸」の解説

鼈甲斎 虎丸(3代目)
ベッコウサイ トラマル


職業
浪曲師

本名
荒井 正三郎

別名
前名=鼈甲斎 吉右衛門

生年月日
明治18年 6月4日

出生地
東京・品川

経歴
子どものころから長唄、旧劇・新派女形をしたあと浪曲師を志し、20歳のとき、2代鼈甲斎虎丸に入門。吉右衛門という芸名で節まねを得意としていたが、25歳で3代虎丸を襲名。その後は「2代虎丸節」に創意を加えて独自の「3代虎丸節」を作り上げる。また初代以来の「安中草三郎」の浪曲化で人気を得るなど、楽燕、重友、雲月ら四天王の長として、大正末から昭和11年にかけての浪曲の第2期黄金時代を築き上げた。得意のネタは「伊達騒動」「左甚五郎」「柳橋五人斬り」など。

没年月日
昭和13年 5月5日 (1938年)


鼈甲斎 虎丸(初代)
ベッコウサイ トラマル


職業
浪曲師

本名
丹羽 吉平

別名
初名=吉川 小長,前名=吉川 吉之助,吉川 虎丸

生年月日
安政1年

出生地
伊勢国四日市(三重県)

経歴
幼少の頃鼈甲屋の養子となるが家業を嫌って浪曲師を志す。10歳で吉川長丸に入門。小長から吉之助を経て、16歳の時吉川虎丸と改名。明治7年頃亭号を鼈甲斎と改め初代となった。19年上京。虎丸亭によって活躍。関東に大阪・名古屋の節調を広め、当時の関東浪曲界の総帥ともいえる浪花亭駒吉と肩を並べるまでに至った。十八番に「安中草三郎」「関取千両幟」などがある。

没年月日
明治27年 4月27日 (1894年)


鼈甲斎 虎丸(5代目)
ベッコウサイ トラマル


職業
浪曲師

本名
梅原 秀夫

別名
前名=鼈甲斎 虎洲

生年月日
明治36年 9月10日

出生地
長崎県

経歴
大正10年大阪で3代目鼈甲斎虎丸に入門、虎洲となる。15年上京、昭和11年から本名を芸名とし、48年5代目鼈甲斎虎丸を襲名。代表演目に「五人の斥候兵」「野口英世」「あゝ無情」「伊達騒動」「左甚五郎」「討入の日」など。

没年月日
平成1年 12月1日 (1989年)


鼈甲斎 虎丸(2代目)
ベッコウサイ トラマル


職業
浪曲師

本名
森 寅之助

別名
前名=鼈甲斎 虎吉,鼈甲斎 吉之助(2代目)

生年月日
明治5年 8月20日

出生地
三重県 四日市

経歴
都三光の門下を経て、17歳で初代鼈甲斎虎丸の門下となる。虎吉の名から2代目吉之助となり、19歳で真打となる。明治28年2代目虎丸を襲名。晩年は鶴堂と改めた。

没年月日
昭和20年 10月15日 (1945年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「鼈甲斎虎丸」の解説

鼈甲斎 虎丸(3代目)
ベッコウサイ トラマル

大正・昭和期の浪曲師



生年
明治18(1885)年6月4日

没年
昭和13(1938)年5月5日

出生地
東京・品川

本名
荒井 正三郎

別名
前名=鼈甲斎 吉右衛門

経歴
子供のころから長唄、旧劇・新派の女形をしたあと浪曲師を志し、20歳のとき、2代鼈甲斎虎丸に入門。吉右衛門という芸名で節まねを得意としていたが、25歳で3代虎丸を襲名。その後は「2代虎丸節」に創意を加えて独自の「3代虎丸節」を作り上げる。また初代以来の「安中草三郎」の浪曲化で人気を得るなど、楽燕、重友、雲月ら四天王の長として、大正末から昭和11年にかけての浪曲の第2期黄金時代を築き上げた。得意のネタは「伊達騒動」「左甚五郎」「柳橋五人斬り」など。


鼈甲斎 虎丸(5代目)
ベッコウサイ トラマル

昭和期の浪曲家



生年
明治36(1903)年9月10日

没年
平成1(1989)年12月1日

出生地
長崎県

本名
梅原 秀夫

別名
前名=鼈甲斎 虎洲

経歴
大正10年大阪で3代目鼈甲斎虎丸に入門、虎洲となる。15年上京、昭和11年から本名を芸名とし、48年5代目鼈甲斎虎丸を襲名。代表演目に「五人の斥候兵」「野口英世」「あゝ無情」「伊達騒動」「左甚五郎」「討入の日」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鼈甲斎虎丸」の意味・わかりやすい解説

鼈甲斎虎丸
べっこうさいとらまる
(1885―1938)

浪曲師。3代目。本名荒井正三郎。東京生まれ。初代(1854―1894)、2代(1872―1945)の虎丸はともに三重県四日市(よっかいち)出身、伊勢祭文(いせさいもん)からの浪花節(なにわぶし)転向組で、東京・浅草に寄席(よせ)を建てながらいまひとつ人気がなかった。芝居の経験もある前名吉右衛門(きちえもん)が3代目を襲名して独得な語り口をくふうし、『安中草三郎(あんなかそうざぶろう)』を口演して人気を高め、原作者が三遊亭円朝であることも忘れられ、「虎丸の安中か、安中の虎丸か」とまでうたわれて一世を風靡(ふうび)した。5代(1903―1989)は、初代梅原秀夫が名跡を継いだ。

[秩父久方]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鼈甲斎虎丸」の解説

鼈甲斎虎丸(2代) べっこうさい-とらまる

1872-1945 明治-昭和時代の浪曲師。
明治5年8月20日生まれ。初代の門下。吉之助をへて明治28年2代を襲名。のち吉右衛門に3代をゆずり,鶴堂(かくどう)(初代)を名のった。「村井長庵」「安中草三郎(あんなかそうざぶろう)」を得意とした。昭和20年10月15日死去。74歳。三重県出身。本名は森寅之助。

鼈甲斎虎丸(3代) べっこうさい-とらまる

1885-1938 明治-昭和時代前期の浪曲師。
明治18年6月4日生まれ。歌舞伎,新派の役者をへて2代虎丸の門下となり,吉右衛門を名のる。明治40年3代を襲名。独自の語り口の「安中草三郎(あんなかそうざぶろう)」で人気をたかめた。昭和13年5月5日死去。54歳。東京出身。本名は荒井正三郎。

鼈甲斎虎丸(5代) べっこうさい-とらまる

1903-1989 昭和時代の浪曲師。
明治36年9月10日生まれ。3代鼈甲斎虎丸の門下。虎洲,本名の梅原秀夫をへて,昭和48年5代を襲名。「野口英世」「五人の斥候兵(せっこうへい)」などを得意とした。平成元年12月1日死去。86歳。長崎県出身。

鼈甲斎虎丸(初代) べっこうさい-とらまる

1854-1894 明治時代の浪曲師。
嘉永(かえい)7年2月3日生まれ。吉川竹丸らに師事。亭号は養家の家業の鼈甲屋にちなむ。明治19年上京。美声で名をあげた。明治27年4月27日死去。41歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本名は丹羽吉平。

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367日誕生日大事典 「鼈甲斎虎丸」の解説

鼈甲斎 虎丸(3代目) (べっこうさい とらまる)

生年月日:1885年6月4日
大正時代;昭和時代の浪曲師
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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