改訂新版 世界大百科事典 「M」の意味・わかりやすい解説
M (エム)
ドイツ映画。1932年製作。《ニーベルンゲン》(1924)でドイツ表現主義映画を完成させたフリッツ・ラングのネロ社製作によるトーキー第1回監督作品。デュッセルドルフで起きた子ども殺害事件に取材し,小市民的な外見とおびえた表情の殺人狂(ピーター・ローレ)が強烈な印象を与えて,以後,映画に登場する社会から疎外された犯罪者像の原型となった。主人公が殺意を抱くたびに口笛で吹くグリークのメロディの一節,まったく相互につながりのないショットの連鎖にかぶさる子どもの名を呼ぶ母親の絶望的な声など,ラングのサスペンスの深まりを表現するための創意あふれる音の技巧的処理は比類がない。S.クラカウアーは《M》を分裂した自我の象徴として《プラーグの大学生》(1913,26),《カリガリ博士》(1919)の系譜に位置づけ,病的な衝動に服従する主人公に,当時台頭しつつあったナチズムを迎え入れるドイツ人の内面的なパターンを見いだした。翌年ラングはヒトラーの迫害を逃れてパリに亡命するが,51年,マッカーシイズム旋風の中でJ.ロージーがヨーロッパへの亡命を余儀なくされる直前に,《M》を再映画化しているのは偶然の符合にしても興味深い。
執筆者:高崎 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報