家事とは,抽象的に定義すれば労働力の再生産を保障する作業であり,人間が家族という単位で集団生活を営んでいく限り,必要不可欠な作業である。また家事は,生命の再生産を保障する作業としての〈育児〉と実際上はきわめて深いつながりをもつが,通常概念上は両者は区別されることもある。家事の基本性格や家事労働をめぐる具体的な問題状況は,時代により社会のあり方によって大きく異なるが,今日われわれが体験している家事や家事労働の歴史的特徴は何であろうか。
第1に,〈生産〉や〈職業〉と対比される固有の〈家事〉領域の成立が挙げられよう。たとえば農業近代化以前の自給的農家においては,家事は農業生産と密接に結びつき,両者は〈家業〉として一体化されており,どこまでが家事でどこからが生産であるか,はっきり線を引くことができない要素があった。しかし,近代化の進行とともに工業化・商品化・被雇用労働者化が進むにつれて,〈家業〉は変容し,家庭内の私的な消費生活を受け持つ固有の〈家事〉と,外で社会的生産労働に携わりその対価として貨幣を稼ぐ〈職業〉とに分離した。その結果,第2期主婦論論争(1960年《朝日ジャーナル》誌上の磯野富士子論文をきっかけに再開された主婦論論争)のテーマである,家事労働の無償性という問題構図が生まれたのである。たしかに,家事労働は,いわゆる交換価値を生まない。同じように掃除をしても,職業としてそれを行う家政婦の行為は有償であるが,家庭の主婦の行為は無償である。しかし有償労働と無償労働という対比のしかた自体が,いわば近代商品社会の歴史的産物である。したがって〈公的な職業労働は尊く,私的な家事労働は卑しい〉とする発想も,その裏返しの〈賃労働は疎外されているが,純粋に家族に尽くす家事労働は疎外されない〉とする発想も,実は同一の歴史的枠組みに根ざすものであり,そのような認識枠組み自体が乗り越えられなければならないのである。
第2に,家族の小規模化と核家族化による,家事の社会的孤立化が挙げられよう。出生率の全般的低下と,若い世代の都市への人口移動,および〈家〉意識の変容などにより,一般的な家族形態は,複雑な大家族から小人数の核家族へと変化してきた。家事には家庭管理の側面があり,従来,その管理権をめぐる嫁としゅうとめの葛藤が伝統的な大家族の問題として語られてきたが,今やそのような葛藤からは解放されてきた反面,老人問題や保育問題に悩む,社会的に孤立した核家族の脆弱(ぜいじやく)さが新しい問題として浮かびあがってきた。現代の家庭の主婦は,多かれ少なかれ孤独病にかかっているといわれている。それは,現代の家事労働が,協働をとおしての社会的な人間のつながりというものを失ってきていることと,無関係ではない。
第3に,生活の社会システムへの依存性の増大,および企業ベースによる家事の商品化の進行が挙げられよう。生活の基礎であるエネルギー供給(電気・ガス・石油),上下水道,ごみ処理等々において,われわれの暮しは地域社会や世界経済に大きく依存している。また日本の食糧自給率はきわめて低い。今日,一家族で自給的な生活をしようとしたら,生活水準は大幅に低下するであろう。現在われわれが享受している高水準の生活--便利な家具や,安くてきれいな衣類や豊富な食卓--は,実はいずれも先進国企業による第三世界の支配や抑圧の問題と無関係では存在しえないものが多い。しかし,安い衣料を買うとき,通常われわれは,低賃金で酷使されている東南アジアの若い女子工員と自分とがどのような関係に置かれているのかについて思い至ってはいない。さらに,高度経済成長による国民所得水準の上昇は,さまざまな家庭電気製品の急速な普及と家事サービスの商品化を可能にした。NHKが継続的に行っている国民生活時間調査によれば,サラリーマン家庭の主婦の1日平均家事労働時間は,第2次大戦前では約10時間であったのに対し,1960年に約7時間に短縮し,それ以降は7~8時間と微増している。時間短縮の主要因は,家族の小規模化,ガスや水道の普及,既製服や既製食品の登場などであり,60年以降の家庭電気製品の普及は,時間短縮よりも省力化等,質の面での変化をもたらしたと考えられる。総じて家事は軽労働化され,手軽に購入できる物が増えたが,反面,食品公害問題や使い捨て商品の氾濫にみられるように,企業ベースにのった家事の商品化の危険性・問題性を示すものも多い。また便利な機械類の導入は,家事労働をかえって断片化し,無限に繰り返される一種むなしい雑用の集積へと変容させている。現代社会病理のひとつであり〈台所症候群〉と呼ばれている主婦の家事ノイローゼ現象も,このような背景をふまえて理解されるべきであろう。そして今や,膨大な家事の商品化の基盤の上で,ぜいたくとしての手作りがささやかなブームにすらなっている。しかし,このような豊かな社会における家事の姿には,プラス,マイナスの両面がある。それは,たしかに快適ではあるが,ひとつには社会的人間関係の文脈で,もうひとつには家事労働の本来の人間形成力の文脈で,全体性を失っている。I.イリイチは,現代の家事労働を,無償労働であるとともにそれをいくら遂行しても決して人間の真の自立に至らない労働になっていると指摘し,〈シャドー・ワーク〉と呼んでいる。このような家事および家事労働の今日的あり方自体の中に含まれている問題構図は,現代社会の構造に深く根ざしているだけに,解決は容易なことではない。
それに加えて,家事の担い手が性別役割分業によってもっぱら女性のみに固定され,女性の社会的活動への参加を制約するとともに,男性を生活上の無能力者へと仕立てあげてきたという問題状況を見逃すことができない。男女が対等な関係に立ち,ともに助け合う自立的な生活者たろうとする立場から,男性の家事参加を主張する議論も近年盛んになってきている。家事の歴史的性格と担い手の変革という二つの視角から考えていくことが必要であろう。
執筆者:船橋 恵子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…19世紀後半,アメリカをはじめイギリスなど欧米諸国で,料理や裁縫など家事の技術教育が女子の初等教育にとり入れられはじめ,1870‐80年代には,アメリカやイギリスでそのための教員養成機関が設立された。家事技術とこれに必要な諸科学を内容とする家政学の一つの伝統はこの流れのなかにある。…
…家庭の運営にかかわる作業をする人は主婦に限られるわけではない。しかし,夫婦中心の小家族においては,主婦は,家事や育児など限られた作業を自分の決めた方針に従って,自分自身の手で行う人となっている。 西欧の夫婦を基礎単位とする核家族においては,産業革命が〈主婦housewife〉を誕生させたといわれている。…
※「家事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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