洗濯(読み)センタク

デジタル大辞泉 「洗濯」の意味・読み・例文・類語

せん‐たく【洗濯】

[名](スル)《「せんだく」とも》
衣服などを洗って汚れを落とすこと。
日常の仕事などから離れて気分を一新したり、からだの疲れをいやしたりすること。「命の洗濯
[類語](1あらすす浣衣かんいすすぎ物洗い物丸洗いき洗いクリーニング洗浄ドライクリーニングウェットクリーニング

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精選版 日本国語大辞典 「洗濯」の意味・読み・例文・類語

せん‐たく【洗濯】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古くは「せんだく」 )
  2. ( ━する ) よごれ・けがれを、あらい清めること。特に、衣類をあらって、よごれを落とすこと。
    1. 洗濯<b>①</b>〈扇面法華経〉
      洗濯〈扇面法華経〉
    2. [初出の実例]「為政母以去長元六年八月六日死去已了、其後為洗濯料、故実光宅守所語置也」(出典:九条家本延喜式巻三十裏文書‐長元八年(1035)一〇月二日・大中臣為政解)
    3. 「Xentacu(センタク)。xendacu(センダク)の方がまさる」(出典:日葡辞書(1603‐04))
    4. 「ある女房、河へせんだくせんとて、行けるが」(出典:咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上)
    5. [その他の文献]〔後漢書‐礼儀志〕
  3. ( ━する ) 心身のわだかまりを捨て去ってさっぱりすること。苦労などを忘れ去ってさっぱりすること。
    1. [初出の実例]「そんな心はせんたくして、しんしにかけて、はれやくたいもない」(出典:歌舞妓年代記(1811‐15)二)
    2. 「命の洗濯(センタク)よりは褌(ふんどし)の洗濯でもしろ」(出典:滑稽本・浮世床(1813‐23)初)
  4. せんたくおんな(洗濯女)」の略。
    1. [初出の実例]「後は女はせんだく、男はあしだやに成なり」(出典:浮世草子・好色通変歌占(1688)上)

洗濯の語誌

( 1 )挙例の「日葡辞書」にあるように、古くはセンタクよりセンダクの方が良いことばとされている。江戸時代に入っても、「昨日は今日の物語」のほか、「好色一代男」「傾城禁短気」にはセンダクが見られる。しかし、の挙例の「歌舞妓年代記」「浮世床」や「和英語林集成(初版)」ではセンタクと清音になっている。このことから、江戸では近世中期ごろからセンタクへ交替したと考えられる。
( 2 )方言としての「洗濯」には、地域によっては、裁縫、仕立て直し、着物の意味での使用が見られる。これは、和服を再び着るために洗い張りをして仕立て直す習慣があったことからと思われる。


あらい‐すすぎあらひ‥【洗濯】

  1. 〘 名詞 〙 くりかえし水に通して、きれいにすること。せんたく。
    1. [初出の実例]「洗(アラ)ひすすぎに、襤褸(ぼろ)つつくり」(出典:花ごもり(1894)〈樋口一葉〉二)

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改訂新版 世界大百科事典 「洗濯」の意味・わかりやすい解説

洗濯 (せんたく)

衣類の汚れをとるために洗い,すすぐこと。英語ではランドリーlaundry,ウォッシングwashing,クリーニングcleaningなどと使われるが,現在では水を用いる洗濯をランドリー,水以外の溶剤を使用する洗濯をドライクリーニングというように使われている。

 洗濯は人類が衣服を着用するようになったときから始まった。その動機としては以下の六つの理由が考えられる。(1)宗教上の理由で,古代エジプトやヘブライのように,汚れた衣服を着用すると神罰を受けるという畏怖心からであった。(2)生活環境からくる潔癖感で,とくに美しい風土に生まれ,温和な気候に育った民族にはその感が強い。古代ギリシア人は美を愛し,白さにあこがれた。(3)儒教の影響の強い東アジア諸国に著しい,礼儀正しくするために衣服を整え清浄に留意するという道義的理由。(4)社交的理由で,服装そのものが身分や階級によってパターン化されてくるに伴い,汚れた衣服は他人に不快感を与え,ひんしゅくを買うもととなり,社会的立場にも疑問をもたれる恐れから洗濯に努めるようになる。歴史的にも古代ローマの貴族をはじめ,都市生活者の間では大きな理由であった。(5)経済上の要因で,財産として衣服をみるようになると,保存手入れのくふうをし,長持ちさせる必要が生じてきた。(6)不潔な衣服は多くの黴菌(ばいきん)が繁殖し種々の疾病の原因となり,身体に有害であるという保健・衛生上の理由である。

 洗濯は服装の文化と相関関係にあり,服装が変化すると同時に洗濯の仕方,新しい洗剤の誕生,のり(糊)のつけ方,仕上げの方法とその道具までが移り変わりながら現在にいたっている。

伊勢神宮の五十鈴川は,神鏡を奉持した倭姫(やまとひめ)命の衣の裾が水に浸ったところから,一名御裳濯(みもすそ)川と呼ばれていた。この川は神前潔斎の川であった。《古事記》には美和河(今日の大和初瀬川)のほとりで〈衣洗う童女(おとめ)〉が雄略天皇の目にとまり,迎えに来るまで待つようにといわれて結婚もせず80歳まで過ごしたという話がある。《常陸国風土記》や《万葉集》にも,衣を洗い,干している情景の歌や記述がある。また奈良時代の写経生が洗濯休暇をとっていたことも知られている。平安時代に入ると,京の町には井戸が掘られ,その周りが洗濯場となる。《扇面法華経冊子》には,木を刳り抜いた桶を用い,足ぶみ洗濯をする場面が描かれ,《信貴山縁起》でも井戸端で踏み洗いする姿がみられることは興味深い。洗濯たらい(盥)の出現もこのころからで,手洗い用,洗顔用であった桶が,井戸端洗濯に移るとともに大型となって洗濯に転用されているが,後世のたらいのような結桶(ゆいおけ)はまだ出現していない。仕上げに関しては《大鏡》太政大臣兼通の巻に,熨斗(のし)が登場し,夜具を暖めているところから,衣服の仕立てや洗濯物の仕上げにも使用されていたと推察できる。今日のアイロンのもとといえよう。《今昔物語》にも見られる久米の仙人の話を《徒然草》では,〈久米の仙人の物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て通を失なひ〉とあるように,農村地帯でも洗濯方法は踏み洗いが行われていたことがわかる。

 室町時代の《酒呑童子》では,源頼光とその四天王が大江山の鬼の征伐に向かう途中,谷川で着物を洗っている妙齢の娘を見つける。鬼にかどわかされた女たちで,生血のついた衣類を洗わされているところであった。江戸時代に入り1705年(宝永2),当時の家庭百科事典ともいわれる《万宝鄙事記(ばんぽうひじき)》を書いた貝原益軒は,〈衣服〉の項で洗濯のための種々の洗剤や,晒(さらし)方法,しみ抜き方法,防虫法などについて指導をしている。18世紀後半に描かれた《長崎日蘭貿易絵巻》にはオランダ人の洗濯所のようすが描かれており,彼ら職人のやり方は立ち洗いであり,洗濯法は叩き洗い,乾燥は天日干しであったことがわかる。当時のヨーロッパの仕上げ方法が伝わっていると考えられるので,当然アイロンが使用されていただろう。火熨斗(ひのし)やアイロン(異国ごて)を使って外国式仕上げをすることを〈異国張り〉といった。また幕末の佐久間象山は《女訓》の中で〈夫の衣類をば心に入れて,度々見及び垢つきたるをば濯ぎ清め,損ねたるをば取り繕い,いささか粗末なきようにあるべし〉と妻の務めを説いている。洗濯は女の仕事であり,道具についても井戸や水道を使用する都市部ではたらいによるしゃがみ式の蹲踞(そんきよ)洗いであり,都市部外では川での踏み洗い,叩き洗い,臼(うす)や杵(きね)を使用してのつき洗いであった。一般家庭ではとき洗いによる手もみ洗いが中心であった。

 洗濯を専門とする業者としては,室町時代に上流階級の衣服を調整した紺屋(こうや)が,汚れた衣服の洗いと張り仕上げも引き受けており,これが日本における洗濯業者の始まりと考えられる。安土桃山時代になると,紺屋から分離,独立した〈洗濯士〉という職人が生まれている。江戸時代に入ると紺屋から独立した洗張りの仕事は,京都で〈洗い物屋〉,江戸で〈洗濁屋(せんだくや)〉と呼ばれる本格的専門業者に移った。現在のクリーニング業のような形の洗濯業者は,1859年(安政6)横浜本町に開業した青木屋忠七を初めとする。本業は横浜に入港した船舶の荷役配送業務であったが,同時に船員の衣類の補修から洗濯までを副業とした。これは〈西洋洗濯〉と呼ばれ,外国人相手のハイカラな業務であった。西洋洗濯の専門業者が誕生したのは翌60年(万延1)のことで,横浜元町の〈清水屋〉岡沢直次郎であった。67年(慶応3)には直次郎の弟も加わり,店を谷戸坂に移転,拡張し,外国人や駐留の外国将兵を相手にますます繁盛した。1861年(文久1)12月には横浜太田町にフランス人ドンバルが店を構え,〈異人の洗濯屋〉として注目された。東京では68年(明治1)5月,洗濯屋与兵衛が,神田鍛冶町表通り下駄新道に西洋洗濯屋を始めたのが祖である。

 ドライクリーニングは1906年に白洋舎を創設した五十嵐健治によって始められた。彼は,ヨーロッパでは白羽二重の白無垢(しろむく)が洗濯できることを聞き,独学で研究に没頭,ベンゾールを使い,これにみずから考案・発明したベンジンソープを添加し,翌年7月,乾燥洗濯と名付けた。

最古の洗濯例としては,前1800年ころのエジプトの壁画に見ることができる。これは洗濯物を傾斜した切石の上におき,2人の奴隷が棒を使って叩き洗いをしている場面である。古代エジプトの文化はナイル川によって培われ,エジプト人は毎日の水浴を信仰上からも欠かすことがなかった。旧約聖書にあるように,捨てられたモーセを葦の中から見つけたのは水浴をしていたパロの娘であった。衣類の洗濯も,ナイルの神の前に不潔は許されぬこととして行ったものであった。ナイルの水はアルカリ分を含んでいたので洗剤はほとんど使わず,とくに汚れのひどい衣類には天然ソーダを使った。旧約聖書《エレミヤ書》には,〈たといあなたがソーダで身を洗い,たくさんの灰汁(あく)を使っても〉とある。ギリシア人は美しい自然環境の中に育ち,その衣服も白を基準としていたことからわかるように,洗濯には関心の深い民族と考えられる。ホメロスは《オデュッセイア》の中で,川のほとりに洗い場があり川床のくぼみで踏み洗いをするさまを書いている。前6世紀ころのギリシアには布晒し兼洗濯業者が存在していた。ローマ人の洗濯様式は,ポンペイより発掘された洗濯場で,奴隷たちが踏み洗いをしていたことからうかがわれる。征服に次ぐ征服でローマの統治範囲が拡大するたびに,あらゆる分野における奴隷が誕生し,洗濯も奴隷の仕事であった。新約聖書《マルコによる福音書》に〈その御衣は非常に白く光り世のさらし屋ではとてもできないほどの白さであった〉とあり,布晒しをする洗濯業者がこの時代に出現してくる。この業者をフーラーfullerといい,フーラーズ・アースfuller's earth(ケイ酸アルミナ)を使い洗濯をしていた。また毛織物の洗濯にはアンモニアを用い,そのためローマ市内の尿を集めたといわれる。

 中世になると,1297年,イギリスのリンカンの町にクリーニング業者のギルドができ上がり,ベター・ビジネス・ビューローと名付けられた。服装も体にフィットした胴衣やジャケットが着用され,ボタンもつき,衿や飾物がつくようになった。そのため家庭洗濯では手に負えなくなり,複雑化した衣類にふさわしい洗濯技法とその専門業者が誕生することになった。シェークスピアの《ウィンザーの陽気な女房たち》(1599)の中には,ダッチェットミードという洗濯屋が出てくることでわかるように,日常生活の中に洗濯屋が見いだされるようになる。この洗濯屋は洗い場としてテムズ川を利用している。

 ルイ王朝のフランスにおいても,洗練された服装文化から洗濯の対象物は増加し,とくに貴族階級の凝った服装に対応するには高度の技術を要するようになってきた。18世紀初めのシャルダンの《シャボン玉》は,母親が屋内の洗濯槽の前で立ち洗いをし,そばで子どもがシャボン玉を吹いている情景が描かれており,セッケンが家庭洗濯に使われていたことをあらわしている。ブーシェの《水車小屋》にも川辺で洗濯をする女たちが描かれている。絵画や戯曲からもわかるように,中世から近世にかけては専門業者でも川辺を使用しており,業者はおもに女性で,みずから得意先回りをし作業もしていた。川辺の洗濯が川の中の船に移ると,これを洗濯船といい,フランス独特の洗濯屋となった。18世紀に入ってのり付法が普及すると,男子の服装もかたいカラーをつけることが可能になり流行した。街には公共洗濯場が出現し,ヨーロッパ全域に広がっていった。セッケンも固形から19世紀初めには粉末セッケンが発明されるにいたった。家庭での洗濯も都市部ではシーツ,テーブルクロス,ナプキン,肌着類などの大量の洗濯物を扱い,きれいに洗い上げるために専門業者が用いていた煮込み洗いを必要としてきた。また洗濯物を湯の中でかきまぜる棒や,ザラ板(洗濯板)も出現する。1850年には手回しで洗濯桶の中の棒を回転させる方法も生まれた。また洗濯槽を深くしザラ板の役目の装置を取り付け,手動で回転させる洗濯機も登場してきた。さらにこれら手動式のものからエンジンを利用しての洗濯機が生まれたのは,1861年,アメリカにおいてであった。20世紀初頭にはやはりアメリカで電気洗濯機が売り出された。

洗濯は水とセッケン・洗剤と機械的力の作用で行われる。

(1)水 水には飲料に適したものとそうでないものとがあるように,洗濯にも洗濯用水がある。本洗いは軟水,すすぎは硬水,最後のすすぎは軟水がよい。水は水溶性汚れを溶かし,洗剤の性能をも発揮する。さらに除去した汚れを洗濯機の外へ出し,汚れを被洗物からすすぎ去ることができる。要約すると水溶性汚れの溶解,洗剤の媒体,汚れの運搬,すすぎの四つの働きをもつ。

(2)セッケン・洗剤 汚れた被洗物に洗剤を働かせると汚れは洗剤について流れ去り,被洗物がきれいになる。洗濯とはセッケン・洗剤によって浸透,吸着,膨潤,分散,乳化,起泡の諸性能の総合された作用をいう。(a)浸透作用 セッケン・洗剤の溶液は繊維や繊維と汚れとの間に浸透していく。(b)吸着作用 汚れた繊維をセッケン・洗剤溶液中に浸すと,セッケン・洗剤分子の親油基が垢や油汚れに吸着しやすくなる。したがってセッケン・洗剤分子は汚ればかりでなく繊維にも吸着される。(c)膨潤作用 繊維および汚れに浸透し,吸着したセッケン・洗剤分子はしだいにこれらを膨潤させる。そして汚れを繊維から離れやすくさせ,分裂をおこす。(d)分散作用 繊維から離れた汚れの粒子が溶液中で機械的にさらに小さく寸断されるとともに,セッケン・洗剤分子に取り囲まれる。取り囲まれた汚れの粒子は繊維に再付着はしない。(e)乳化作用 分散がさらに進んで,汚れの中の油の粒子がいっそう小さくなり,セッケン・洗剤分子によって完全に覆われると,牛乳のような乳化状態となる。乳化すると完全に水に混ざるので,すすぎによってこれらを洗濯液から取り去ることが可能となる。(f)起泡作用 洗濯液中に分散された汚れやごみを,その表面に浮かび上がらせる役目をするのが〈泡〉で,汚れを引き離し,すすぎのときに汚れといっしょに流れ去らせる作用をする。したがって泡は間接的に洗浄作用に役立っているわけで,泡立ちと洗浄力とは直接関係はない。

(3)機械的作用 足で踏んだり手でもんだり,洗濯機の水が動くなどの機械的な力が加わることにより,洗いやすすぎの作用が加速される。このとき被洗物に不均一な力が加わると,布地を傷めることがあるので注意する必要がある。なお,糊料(のりりよう),柔軟剤などの仕上剤を用いて洗濯物の風合いをよくする場合もある。

水(溶剤)とセッケン・洗剤を使用して洗濯する方法をランドリーというのに対し,水以外の溶剤を使用する洗濯方法をドライクリーニングと称する。有機溶剤を使い,汚れの主成分である脂肪質を溶かして洗浄する。この方法は1820年,フランスの洋服屋ジョリ=ブランが,テレビン油を用いて毛・絹製品の洗濯法を研究したことに始まる。衣服全体の収縮,型くずれを防ぐ方法として生まれ,フレンチ・クリーニングともいわれた。しかし,この言葉は現在では〈古い伝統的な手作業によるクリーニング〉の意に用いられる。ドライクリーニングの溶剤としては,石油炭化水素(工業ガソリン5号),塩化炭化水素(テトラクロロエチレントリクロロエタン),フッ化炭化水素(フロン)が用いられる。石油系は引火性があり,塩素系は毒性が強い点が問題であり,フッ素系は価格が高いという難点がある。ドライクリーニングの工程は,マーキング,洗浄,乾燥・脱臭,しみ抜き(加工),仕上げの順で行われる。ドライクリーニングは水溶性の汚れを落としにくい欠点があるが,陰イオン系,非イオン系界面活性剤を主としたドライクリーニング用の洗剤(チャージ・ソープ)をもとに,溶剤湿度をコントロールすることにより水溶性汚れも同時に除去して,洗濯効果を高める方法も開発された。これをチャージ・システムという。また従来,動物性繊維(毛,絹)はドライクリーニング,植物性繊維(木綿,麻)はランドリー,化学繊維はその性質や用途に応じてそのいずれかに分けられていた。しかし,現在では染料,捺染の問題,衣服裏地や縁どりその他の装飾を含めて多様な繊維が用いられているところから,分類の仕方も複雑になってきている。

本来リネンlinenは麻の意であるが,テーブルクロスやナプキンなどには麻が使われていたため,これらを総称してリネンと呼んだ。レストランやホテルなどはこのリネンを自己所有し,洗濯を専門業者に委託するか,または作業場を施設内にもって洗濯処理をしていた。人件費,地価などの諸経費の上昇に伴い,その合理化のためクリーニング業者がリネンを所有し,洗濯つきでこれらを賃貸供給することが始まり,これをリネン・サプライと呼んだ。日本でもアメリカの影響を受けて1955年ころから都市ホテルに始まり,リゾート地のホテルや都市レストランにリネン・サプライが普及し,大型の業者が誕生した。また病院における入院患者用の貸布団をはじめ枕,シーツなど寝具類の洗濯つきレンタル方式も誕生し,これを基準寝具サプライと呼ぶようになった。喫茶店やレストランに対しては貸しおしぼりも普及し,また一般家庭では貸しおむつも利用されるようになった。これらはランドリー方式が主であったが,次いでドライクリーニングを主としたユニフォーム・レンタルも誕生した。各種ユニフォームを対象としたもので,これも広義のリネン・サプライと称する。
セッケン →洗剤
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洗濯」の意味・わかりやすい解説

洗濯
せんたく
laundry

衣類などについた汚れを洗い落とすこと。古くは洗濁(せんだく)ともいい、女性の仕事として長い間家事労働の大きな部分を占めてきたが、家庭電化による電気洗濯機の普及、新しい化学繊維や新洗剤の出現などにより、洗濯に費やす時間と労力は著しく合理化された。

[落合 茂]

歴史

洗濯は、衣服が着捨ての段階を経たのち貴重価値を生じるにつれて始められたが、最初の動機は宗教心に発していた。体を水に清める沐浴(もくよく)と同様、古代人は穢(けがれ)も罪悪や災害と等しく罪とみなして、神の前で清潔であることに努めた。『旧約聖書』のモーゼが、シナイ山で十戒を授かる前に人々に衣服を洗わせたのも、あるいは倭姫命(やまとひめのみこと)が裳(たばかま)の汚れを洗ったという故事から五十鈴(いすず)川(三重県伊勢(いせ)市)が御裳(みもすそ)川とよばれたのも、この神前潔斎の現れである。また中国では司馬遷(しばせん)の『史記』に、父母に仕える道として倫理的動機から洗濯を行ったとあり、同じように主君への清廉潔白を表すものとして、鎌倉時代の武士はつねに洗濯の手入れの行き届いた衣服を着用した。

 ホメロスの『オデュッセイア』には、美しい川辺の洗い場で女たちが洗濯をし、乾くまでの間、水浴、食事、まり遊びなどをしているようすが描かれている。また『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』(713~715)には、湧(わき)井戸のほとりで村の女たちが遊び楽しみながら洗濯をする記述があるように、古代人にとって川は自然の水道、浴槽であり、洗濯も沐浴もまず水辺から始まった。原始的な洗濯は、川の流れにさらす方法から泉、沼、井戸の汲(く)み水を使って浸す方法へと変わった。やがて、浸すだけでは汚れが落ちにくいところから、手や足の操作によるもみ洗い、振り洗い、踏み洗い、さらに木の棒や石などの自然物を利用するたたき洗い、押し付け洗い、板もみ洗いなどが加わった。また水を加熱することにより洗浄力が高まることを知ってからは、煮洗いや蒸し洗いも行われるようになった。紀元前200年ごろのものといわれるエジプトのベニ・ハッサンの岩墓(がんぼ)壁画には、布をたたき、踏み、すすぎ、絞り、乾かすという洗濯作業のようすが描かれている。古代エジプトでは洗濯ということばの象形文字が、水の中の2本の足で表現されていたことから、当時は踏み洗いが一般的な洗濯方法であったことがわかる。

 洗濯場が屋内に移ったり、屋外の井戸端が使われるようになると、西洋では洗濯桶(おけ)wash tubが、日本ではたらい(手洗いの意)が登場した。桶とたらいの相違は立ち居と座居の生活様式の差からきており、また衣服そのものが曲線的な仕立てで丸洗いを必要とする洋服と、直線的な仕立てで解き洗いができる和服との違いにも由来している。日本では、かがんだ姿勢のたらい洗いが長く続いたが、たらいの出現は平安時代で、当時の扇面古写経には井戸端での足踏み洗いがよく描かれている。これは当時の衣料繊維が太かったためで、平安末期から鎌倉・室町時代の絵巻物になると、たらいでの手もみ洗いのほうが多くなっている。さらに室町時代には、染師が洗い張りや伸子(しんし)張り仕上げを兼業した。町人階級が台頭する江戸時代になると、洗濯のきく木綿が庶民の衣料となって洗濯の普及を促した。洗濯を職業とする者が現れると、江戸では洗濯屋(丸洗い)、京都では洗い物屋(解き洗い)とよばれた。

[落合 茂]

洗濯の原理

洗濯の方法には、洗剤を用いての水洗い(湿式洗濯)と、溶剤によるドライクリーニング(乾式洗濯)があり、家庭で行われるのはほとんどが湿式である。また衣料につく汚れは大きく分けて、乾性(ごみや土砂など)、水性(汗など)、油性(化粧品や食用油脂など)の三つに分けられる。洗濯によって汚れが除去される原理は、もんだりたたいたりする物理的作用と、洗剤によって汚れを水に溶かす化学的作用によるものとがあり、この二つが併用されている。

 乾性の汚れはブラシなどで取り除き、水性の場合には水の溶解性を利用して水洗いする。せっけんや洗剤の溶けた水は表面張力が低いので、布地の繊維に速やかに浸透して汚れをふやかし、汚れを除きやすくする。また水に親しみにくい油性の汚れは、乳化作用によって小さい粒子に分散し、繊維の表面から取り除かれる。さらに洗濯物を振り動かす物理的な作用が加わり、これら浸透、吸着、乳化、分散の洗浄作用が促進される。

[落合 茂]

洗剤

洗濯にはせっけん、合成洗剤、アルカリ剤、ドライクリーニング溶剤などが使われているが、古くは酸性白土や砕いたルピナスの実、植物の灰や灰汁(あく)などが一般に用いられ、とくに水の乏しい地方では砂が洗濯に用いられていた。ポンペイの遺跡のせっけん工場跡からわかるように、1世紀ごろのローマではすでにせっけんがつくられていた。そして12世紀ごろにはイタリア、スペイン、およびフランスのマルセイユでせっけん業がおこり、それから15世紀にかけてヨーロッパ各地に広がった。日本では古くからサイカチ、ムクロジの実、灰汁、米のとぎ汁、澡豆(そうず)(アズキの粉)などが洗濯に用いられ、なかでも灰汁がおもに使われていたことは浮世絵などからわかる。シャボン(せっけん)は16世紀に南蛮船によってもたらされたが、当時はおもに薬用にあてられ、一般に洗濯に用いられるようになったのは1877年(明治10)前後に国産せっけんが出回るようになってからのことである。

 せっけんは綿や麻製品などには適しているが、硬水や冷水では効果が低下し、また羊毛や絹などのアルカリに弱い布の生地(きじ)や色合いを損なうという欠点がある。そこで、それらの不都合を補うような中性の合成洗剤、つまり高級アルコール硫酸塩とよばれる高級アルコール系洗剤が、1928年に初めてドイツで開発、工業化された。ついでアルキルベンゼンスルホン酸ソーダ(ハード型ABS)を主成分とする石油を原料としたソープレスソープが、1930年代にアメリカで工業化されたが、これは分解されにくく、しかも廃水が河川の発泡などの汚染を招くため、さらに生分解されやすいアルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム(ソフト型LAS)へと転換された。また洗剤には洗浄促進剤(ビルダー)としてリンが配合されていたが、閉鎖性湖沼の富栄養化問題から、無リン洗剤が開発された。このほか洗濯補助剤として洗濯ソーダ、ケイ酸ソーダ、セスキ炭酸ソーダ(炭酸水素ナトリウムと炭酸ソーダの結合したもの)、アンモニア水、酸類、柔軟剤としてロート油(トルコ赤油)、グリセリンなどが用いられている。

 衣料用洗剤は水素イオン濃度(pH)により、軽い汚れを対象とする中性の軽質洗剤(ライトデューティー)と、ひどい汚れを対象とする弱アルカリ性の重質洗剤(ヘビーデューティー)に分けられる。軽質洗剤はアルカリに弱い毛や絹、あるいはアセテートなどのおしゃれ着用に、重質洗剤は木綿や麻、レーヨン、ビニロンなどの実用着用にと、繊維の性質や汚れの程度によって使い分ける必要がある。なお、カルシウムやマグネシウムなどの塩分を多く含む天然の水は、雨水や水道の水に比べてせっけんの溶けぐあいも泡立ちも悪く、洗濯に適さない。

[落合 茂]

家庭での洗濯

家庭での洗濯は次の手順で行うのが合理的である。(1)分類―洗濯物を種類、繊維、汚れの多少などにより分類する。(2)水つけ―洗濯前に水または微温湯(ぬるまゆ)につけて、汚れ落ちをよくする。(3)下洗い―本洗い前に水またはアルカリ剤液中で下洗いする。(4)本洗い―汚れや繊維に応じた洗剤による洗濯で、手洗いと機械洗いがある。洗濯機洗いは汚れが均一にとれるが、手洗いは汚れのひどい部分や布地の強弱によって加減ができる。(5)すすぎ―吸着した洗剤を除去するため、少なくとも3回以上水をかえてすすぎを行う。ためすすぎと流しすすぎがある。(6)脱水―手絞りと遠心分離機による方法がある。(7)乾燥―自然乾燥と人工乾燥がある。自然乾燥で黄変、変退色するものは直射日光を避ける。人工乾燥は天候に左右されずに短時間で乾燥できるので、日照の不十分な地域や、煤煙(ばいえん)などで空気汚染が著しい場合に便利である。(8)仕上げ―アイロンを使うが、毛や化学繊維には布1枚をあてがってかけるとよい。和服地を解き洗いしたものは板張りや伸子(しんし)張りにする。そのほか、漂白剤による漂白、蛍光染料による増白、糊(のり)つけなどがある。

[落合 茂]

洗濯のいろいろ

おもな洗濯の方法には次のようなものがある。(1)もみ洗い―木綿や麻の白地物に適する。(2)こすり洗い―洗濯板にこすりつけて洗うので、弱い布地には適さない。(3)刷毛(はけ)洗い―とくに汚れのひどい部分や、もみ洗いのできない部分に行う。(4)つかみ洗い―布地を痛めない方法で、絹、毛、化繊に適する。(5)押し付け洗い―洗濯板の上に手のひらで押し付けては離す動作を繰り返す方法で、組織の弱いレーヨンや毛に適する。(6)振り洗い―手で自由に洗えないような、生地がじょうぶで大きな物に適する。(7)踏み洗い―毛布などの大きなものを風呂桶(ふろおけ)やコンクリート床で踏んで行う。(8)たたき洗い―たたき棒などで洗剤をつけながらたたいて洗う。(9)へら洗い―汚れのひどい足袋(たび)底などを、洗剤液をつけたへらでしごいて洗う。(10)熱湯洗い―熱に耐えられる白木綿や麻などを純白に仕上げるために行う。

[落合 茂]

営業洗濯

家庭洗濯に対して、洗濯業者が行うものをいう。洗濯業者の出現はローマ時代にまでさかのぼり、13世紀のイギリスにはすでに業者のギルド(組合)が、19世紀の西欧諸国には公共洗濯所が設けられていた。揮発性溶剤を用いて衣料の汚れを落とすドライクリーニングは、1847年フランスのブレンがベンゼンによる無水洗濯法を発表後、ヨーロッパ各地に普及した。

 日本では洋服の普及とともに西洋洗濯屋が登場し、明治末年からドライクリーニングが始まった。日本の洗濯業界はほとんどが、水を用いるランドリーと、溶剤を用いるドライクリーニングの兼業で、約4万7300軒(1999年度)を数えるが、その多くは従業員4人以下の小規模なもので、大工場は数社にすぎない。また、洗濯業務を行わない取次店は約11万5700軒である。さらにホテルや病院が自営する付属洗濯工場のほかに、ホテルやレストランにシーツやユニホームなどを賃貸するサービス業として、リネンサプライ業がある。

 工場洗濯の作業工程は次のとおりである。(1)マーキング―品物に客の名札をつける。(2)分類―洗濯方式に応じて、繊維の素材や加工、染色により分類する。(3)洗濯―回転洗濯機で水、洗剤、助剤を用いて洗う。(4)脱水―高速回転の遠心分離機で水を絞り取る。(5)プレス仕上げ―プレス機を用いての仕上げで、乾燥を兼ねているため脱水したものをそのままプレスする。ワイシャツ、作業衣、白衣、浴衣(ゆかた)、ズボンなどに用いる。(6)ロール仕上げ―蒸気で加熱された曲面上に、横に回転するローラーの間を通して仕上げるもので、シーツ、テーブルクロスなど平らなものに用いる。(7)アイロン仕上げ―古くは仕上げといえばアイロン仕上げが大部分であったが、現在はプレス機だけでは不十分な部分の補助手段として、あるいは足袋やカラーなどの小物仕上げに用いる。(8)キャビネット型ワイシャツ仕上げ―ワイシャツを型に着せ、胴部分を蒸気加熱した熱板で両面からプレスする装置で、袖(そで)や肩をプレスする機械を組み合わせてユニットにしたものを使い、能率的に仕上げる。(9)乾燥。(10)検査。(11)整理。(12)発送。

[落合 茂]


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普及版 字通 「洗濯」の読み・字形・画数・意味

【洗濯】せんたく

洗いそそぐ。唐・杜甫〔夏夜の〕詩 何に由りてか、一たび洗せん 熱を執りて、互ひに相ひむ 夕、斗(てうと)(昼は炊飯、夜はどらに用いる)をつ 喧聲(けんせい)、方になる

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百科事典マイペディア 「洗濯」の意味・わかりやすい解説

洗濯【せんたく】

衣料その他の繊維製品のよごれを除くこと。水にセッケン合成洗剤などの各種洗剤を用いて行うランドリーと,揮発性溶剤を用いるドライクリーニングがある。家庭で行う場合,布地に適した洗剤を選ぶことが肝要。セッケン(洗濯セッケン)は木綿,麻などのアルカリに強い植物性繊維に向き,洗浄力が大きく特に肌着(はだぎ)などには好適だが,硬水では使用できない。合成洗剤は羊毛,絹,化学繊維などに広く用いられ,硬水でも使用できる利点がある。洗濯ソーダ(炭酸ソーダ)などのアルカリ剤は木綿や麻などにセッケンと併用される。〔洗濯の原理〕 洗剤を溶かすと水は表面張力が小さくなり,布の繊維の間にしみ込みやすくなる。また洗剤分子は一端に親油基を,他端に親水基をもつため,油脂性のよごれを囲んでこれを小さな粒子として繊維表面から分離させ,この粒子は表面張力の低下によって多数生じた泡に吸着されて運び去られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洗濯」の意味・わかりやすい解説

洗濯
せんたく
laundry

布など繊維状のものの汚れを洗い落とす作業。普通,水を使って衣類や夜具などを洗うことをさし,ガソリンその他の有機溶剤で行なう洗濯はドライクリーニングとして区別する(→クリーニング業)。古代から洗濯は人間の生活の一部分として確立し,もみ洗いやなど,形式はほとんど変わっていない。ただ中世頃から灰汁や特定の木皮などの補助洗剤が開発され,現代では油脂石鹸,界面活性洗剤などが用いられ,能率を高めている。また,家庭での洗濯の方法も,手作業を避けて機械化されており,洗濯機が日本中ほとんどの世帯に普及している。

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