アメリカの建築家。ケンタッキー州エルクトン生まれ。アラバマ工科大学卒業。1947年にハーバード大学GSD(大学院大学デザイン・コース)修了。在学中はワルター・グロピウスに学ぶ。フロリダでトゥイッチェル・アンド・ルドルフ建築設計事務所を設立(1947~51)。その後ポール・ルドルフ建築設計事務所を設立し、ボストン、ニュー・ヘブン、ニューヨークと所在地を移す。ヒーリー・ゲストハウス(通称コクーンハウス。1949)、ウォーカー・ゲストハウス(1953)など一連の小住宅をシンプルな平面計画と独創的で合理的な構造計画でデザインし、第二次世界大戦後の新世代のアメリカ建築家として注目を集める。
その後、ウェルズレイ・カレッジ・アートセンター(1955、マサチューセッツ州)、エール大学森林学研究所(1957、コネティカット州)によりアメリカ東部の気候風土に対応した建築のあり方を示し、インターナショナリズムからリージョナリズム(地域主義)へのスタイルの転換を示した。コーネル大学、ハーバード大学、プリンストン大学をはじめ、さまざまな大学の講師を経て、エール大学建築学科主任となる(1958~65)。その期間、エール大学のキャンパスの一連の建築、すなわちパーキングガレージ、既婚学生寮(ともに1962)、建築学部(1963)などを打ち放しコンクリートによるコアと中空の柱、スキップフロア(床の高さをずらすこと)やコンクリートのはつり壁(打設後のコンクリート表面を削り取り自然石の表面のようにする仕上げ)で新しい表現を行いながら、流動的でダイナミックな空間を実現した。
さらにクロフォード・メイナー高齢者集合住宅(1962、コネティカット州)、IBM研究所、オフィス、工場施設(1962、ニューヨーク州)、ボストン・ガバメント・サービスセンター(1963)などをつくり、その後マサチューセッツ工科大学(1966)、ウェイン州立大学モンティース・カレッジ・センター(1966、デトロイト)をはじめとする大学キャンパス計画を手がけ、さらに都市的な規模のデザイン、例えばワシントンDC(1966)やローワー・マンハッタン(1967)などの再開発計画を進める。しかし、スケールは異なっても、ユニット化した構造と空間の単位をダイナミックに展開させる手法は共通していた。
グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエらの弟子にあたる世代であるルドルフは1950~60年代のアメリカ建築界においてコンクリートの表現、都市計画の手法を開発し確立しただけでなく、そのスタイルをもって世界中の建築家に影響を与えた。
[鈴木 明]
『二川幸夫写真、槇文彦ほか文『現代建築家シリーズ ポール・ルドルフ』(1968・美術出版社)』▽『『GA No.20 ポール・ルドルフ』(1973・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』▽『二川幸夫企画・編集『ポール・ルドルフの建築透視図』(1974・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』▽『「ポール・ルドルフ作品集 1946―74年 作品100題」(『a+u』1977年7月臨時増刊・エー・アンド・ユー)』
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…アフリカ大地溝帯に属する構造湖で,湖面標高375m,面積7100km2(アフリカ5位),最大深度73m。ルドルフ湖Lake Rudolfとも呼ばれるが,それは1888年オーストリアのテレキ伯が探検し,当時の皇太子にちなんで命名したからである。湖の周辺に住むナイル・ハム系の牧畜民トゥルカナ族はバッソ・ナロク(黒い水)と呼ぶ。…
…彼は押韻には方言形を避け,中世高地ドイツ語の詩人の言語の発達に寄与した。彼はゴットフリートをはじめ,ルドルフRudolf von Ems(1200ころ‐52ころ),コンラートKonrad von Würzburg(1220‐87)など同時代および後代の詩人たちに大きな影響を与えた。現代文学では《グレゴリウス》を素材としたT.マンの《選ばれし人》(1951)がある。…
…したがって第1期と第2期の間には思想や人物の明らかな連続がある。たとえば第2期の改革の担い手のひとりであるイグナティウス・デ・ロヨラに大きな影響を与えたのは第1期に属するカルトゥジア会修道士ザクセンのルドルフLudolf von Sachsenの《キリスト伝》であった。第2期に属するできごとにはイエズス会(1540創立)をはじめとする新修道会の設立と活動があるが,最も重要なのはトリエント公会議の開催とその第1会期(1545‐47)と第2会期(1551‐52)の〈信仰教義の決定〉である。…
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[オーストリア支配と世界帝国]
スイスとエルザス(アルザス)に所領をもつ豊かな貴族として,1020年にはスイス北部にハプスブルク城を築き,伯の称号をもっていた。大空位時代の混乱の後,始祖ルドルフ1世は,1273年ドイツ国王に選ばれ,競争者ボヘミア王オタカル2世からオーストリア,シュタイアーマルクを没収し,82年息子たちに授封し,初めて東方に家領を確保した。兄弟全員による相続権所有の原則から,以後相続争いと系統分立を繰り返すが,断絶の際には残った系統に再統一される復元力もあって多産系のこの王家は家領を拡大する。…
※「ルドルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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