明治〜昭和期の日本史学者 東京帝国大学名誉教授;貴院議員(勅選)。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
明治~昭和前期の歴史学者。慶応(けいおう)元年9月28日、播磨(はりま)国に幸田貞助の三男に生まれ、のち姫路藩士三上勝明の養子となる。1889年(明治22)帝国大学文科大学和文学科を卒業、大学院で国史を研究、90年に編年史編纂掛(へんさんがかり)編纂助手を嘱託され、『白河楽翁公と徳川時代』を刊行、また『社寺領性質の研究』(共著)をまとめる。史料編纂事業に尽力するとともに、92年に文科大学助教授、99年に教授・文学博士となる。『大日本史料』の刊行に努力し、1926年(大正15)定年退官。『明治天皇御紀』の編修を主宰し、32年に貴族院議員となる。昭和14年6月7日死去。遺著に『江戸時代史』上下(1943、44)がある。
[松島榮一]
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1865.9.28~1939.6.7
明治~昭和前期の日本史学者。播磨国生れ。東大卒。大学院で国史を研究し,1899年(明治32)東京帝国大学教授。国史科独立の功労者で,史料編纂掛の事務主任として編纂事業の基礎を築いた。退官後は臨時帝室編修官長として「明治天皇御紀」を完成。貴族院議員も勤めた。著書「白河楽翁と徳川時代」「江戸時代史」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈国学〉〈歌論〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の芳賀(はが)矢一においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…
※「三上参次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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