三波春夫(読み)みなみはるお

百科事典マイペディア 「三波春夫」の意味・わかりやすい解説

三波春夫【みなみはるお】

歌手。新潟県生れ。本名北詰文司(きたづめぶんじ)。13歳で上京,16歳で日本浪曲学校に入学し,のち南篠文若(なんじょうふみわか)の芸名で初舞台を踏んだ。20歳で陸軍に入隊し,第2次世界大戦後はソ連で抑留生活を送った。帰国後,浪曲から歌謡曲に転じ,1957年に三波春夫として《チャンチキおけさ/船方さんよ》で歌謡界デビュー。《雪の渡り鳥》《大利根無情》などを大ヒットさせた。一方で,東京オリンピックのテーマソング《東京五輪音頭》や日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソング《世界の国からこんにちは》は,国民の高度経済成長感を盛り上げた。明るい歌声と派手な衣裳,笑顔と旺盛なサービス精神,そして〈お客様は神様です〉というキャッチフレーズで〈国民歌手〉〈国民的歌手〉として親しまれた。1976年度と1982年度の文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三波春夫」の解説

三波春夫 みなみ-はるお

1923-2001 昭和後期-平成時代の歌手。
大正12年7月19日生まれ。昭和14年南条文若の名で浪曲師としてデビュー。32年歌謡曲歌手に転向,「チャンチキおけさ」がヒット。「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」の大ヒットで国民歌手といわれた。「お客様は神様です」のせりふも有名。58年リサイタル「放浪芸の天地」で芸術祭優秀賞。平成13年4月14日死去。77歳。新潟県出身。本名は北詰文司。

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世界大百科事典(旧版)内の三波春夫の言及

【浪花節】より

…また,文芸浪曲への挑戦,ギターやピアノを伴奏楽器に使っての歌謡浪曲の試みなどもあった。しかし,昭和初期における寿々木米若,2代広沢虎造などのような圧倒的人気者に匹敵する演者は生まれず,歌謡曲の分野に進出して成功した三波春夫(1923‐ ),村田英雄(1929‐ )のほかに,傑出した個性をもつ人物は出ていない。現在,木村若衛,東家浦太郎,3代玉川勝太郎,二葉百合子などの努力によって失地回復のきざしは見えつつあるが,新時代にふさわしい題材の開拓,優秀な専門作家の出現,現代の広い層の聴衆に歓迎される節調の作曲など,現代浪曲への課題はきびしいものがある。…

※「三波春夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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