2国(あるいは地域)間の貿易が一方の輸出(または輸入)超過におちいり,貿易の拡大をさまたげる場合,第三国(地域)を介在させて3国(地域)間で決済する方式。3国以上にわたる場合は多角貿易multilateral tradeという。2国間で貿易収支を均衡させようとした場合には,輸出額の少ないほうに収支を合わせるため総貿易額は縮小しがちである。三角貿易あるいは多角貿易の長所は,決済が多国間で行われるため,A国がB国に対して1000万ドルの輸出超過でもB国がC国に対し,C国がA国に対し同額の輸出超過をもてば全体として均衡しているわけで,二国間貿易bilateral tradeにくらべ貿易量は拡大する。三角貿易の例として経済史上で有名なのは,18世紀のイギリス・西ヨーロッパ・バルト海諸国間の貿易やイギリス・西アフリカ・西インド諸島間の貿易である。ことにイギリスは西インド諸島からの原綿輸入によって綿織物生産を行い,輸出の80%以上を西インド諸島とアフリカに向けた。その一方で,西インド諸島のプランテーションで働く労働力の供給源として西アフリカの奴隷貿易を行ったのであった。このような三角貿易はイギリスに莫大な利益をもたらすと同時に,綿織物産業確立の基盤を提供した。なお〈三国間貿易〉については当該項目を参照されたい。
執筆者:佐々波 楊子
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二国間貿易で貿易収支の不均衡が生じた場合、第三国を介入させて3国間で貿易取引の均衡を図る方式。二国間貿易に比べて貿易量も拡大しやすくなる。歴史的には、18世紀に盛んであったイギリス(綿布)、西アフリカ(奴隷)、西インド諸島(綿花、粗糖)間の三角貿易が有名である。なお、3国以上にわたる場合は多角貿易という。
[秋山憲治]
三地点間の貿易によって収支を図る貿易。大航海時代の到来によって開拓された西ヨーロッパ,アフリカ,アメリカを結ぶ貿易が最初とされる。18世紀にはイギリス・フランス,西アフリカとカリブ海・アメリカ本土を結んで展開された奴隷を媒介とする三角貿易が,商業革命を展開させ,西ヨーロッパの圧倒的な優位をもたらした。19世紀のイギリスがとったインドのアヘンと中国の茶を結びつける貿易関係も,一種の三角貿易とみなされる。
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…これに代わって重要になるのが,すでにブラジルで展開されていた砂糖生産である。サトウキビ栽培の中心はやがてイギリス領およびフランス領の西インド諸島に移るが,この産業はつねに大量の黒人奴隷を必要としたために,西アフリカからの奴隷貿易を軸として,〈三角貿易〉が成立した。ヨーロッパからアフリカに火器や綿布が送られ,西アフリカでそれをニグロ奴隷にかえ,これを新世界の砂糖プランテーションで砂糖にかえるものである。…
…この両タイプの植民地の成長は,製造工業品需要を大幅に増大させ,産業革命の勃興をうながす力となった。同様に重要な役割を担ったのは,〈三角貿易〉に代表されるように,プランテーションの繁栄にともなって興隆をきわめた奴隷貿易である。こうしてアフリカ人奴隷を犠牲にすることによって得られた富がリバプールに繁栄をもたらし,ひいてはイギリス産業資本主義の基礎を築きあげた。…
…なおアジアからの輸入商品も17世紀後半にはコショウから茶,コーヒーに変わりつつあった。17世紀の新大陸貿易においては,メキシコ,ペルーの銀産出量の減少によりスペインの銀船隊はしだいに衰え,オランダもブラジル植民地を失い,代わってイギリスが本国(織物),アフリカ西海岸(奴隷),新大陸(タバコ,木材,砂糖など)の三角貿易を展開した。18世紀前半イギリスはフランスとの激烈な植民地獲得競争に勝利を収め一大植民地帝国,いわゆる大英帝国を建設した。…
…しかしそれに伴って生ずる労働力の不足を解消するためにはアフリカから黒人奴隷を多数輸入するほかはなく,これは17年から実行に移された。これによってヨーロッパ(穀物,織物,雑貨)→アフリカ(黒人奴隷)→新大陸(黄金)という三角貿易が始まった。一方,イスパニオラやキューバでは金鉱が掘り尽くされ,17年からはプランテーション制によるサトウキビの生産が始まった。…
…しかし,この争いも,スペイン継承戦争,オーストリア継承戦争に次いで七年戦争でもイギリス側が勝利を収めた結果,1763年のパリ条約でイギリス重商主義帝国(〈旧帝国〉とよばれる)が完成した。イギリスを中心とする北西ヨーロッパとアフリカとアメリカを結ぶ,いわゆる〈三角貿易〉は,産業革命の前提条件として,決定的に重要な意味をもつことになる。 1775年,英領北アメリカ13植民地は独立運動を展開,翌76年には〈アメリカ独立宣言〉を発し,83年のパリ条約では最終的に独立を承認された。…
…新世界で奴隷を売却した船は,為替や現金のほか,砂糖や綿花のような植民地物産を得てヨーロッパに帰港する。いわゆる三角貿易である。リバプールを核として成立した三角貿易を例にとると,膨大な利潤をもたらしたばかりか,綿布輸出と砂糖植民地の副次的産物である綿花の輸入とも結びついていたことで,同市の急激な成長と後背地マンチェスター周辺の綿工業の展開を促した。…
…各国とも,植民地貿易を推進するため,競って重商主義政策をとり,東インド会社,西インド会社を設立して貿易独占権を付与し,激烈な国際的経済戦争を展開する。ヨーロッパより毛織物,麻織物を新大陸に送って見返りに金・銀を獲得し,この貴金属をもって東インドより香辛料を手に入れる三角貿易が,ヨーロッパを核とする世界貿易の基本構造となった。このシステムを支える基軸産業として,ヨーロッパ諸地域では織物業の急速な発展をみ,その優劣が世界経済における覇権を決定するまでになる。…
※「三角貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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