中島敦(読み)ナカジマアツシ

デジタル大辞泉 「中島敦」の意味・読み・例文・類語

なかじま‐あつし【中島敦】

[1909~1942]小説家。東京の生まれ。中国の史実・古典に題材を求めた作品を書いたが夭折ようせつ、死後再評価された。作「李陵りりょう」「山月記」「光と風と夢」など。

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精選版 日本国語大辞典 「中島敦」の意味・読み・例文・類語

なかじま‐あつし【中島敦】

小説家。東京出身。東京帝国大学卒。横浜高等女学校に勤務しながら英文学、中国古典を研究、それらに取材した小説を多く発表。「光と風と夢」が文学的にみとめられるが、まもなく病没著作李陵」「山月記」など。明治四二~昭和一七年(一九〇九‐四二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中島敦」の意味・わかりやすい解説

中島敦
なかじまあつし
(1909―1942)

小説家。明治42年5月5日、東京に生まれる。中島家は、乗物師の名家として代々日本橋新乗物町(現日本橋堀留町)に住んだ。祖父の代から学問を志し、従祖父、伯叔父、父と、みな漢学に生きた。一高を経て、1933年(昭和8)東京帝国大学国文科卒業。大学院在籍のまま私立横浜高女の教師となる。中学時代から小説を書いたが、孤独をよしとする生活を貫いたため、世に知られる機会を得られなかった。41年南洋庁の教科書編集書記としてパラオへ赴任、彫刻家・民俗研究家の土方久功(ひじかたひさかつ)と知る。出発前深田久弥(きゅうや)に託した原稿が深田によって『文学界』に載り(42年2月号に『山月記』と『文字禍』)、初めて有才の新人として処遇される。42年3月帰京、作家としてたつ決意をし、『悟浄出世』(1942)、『弟子』『李陵(りりょう)』(ともに1943)を書き、7月『光と風と夢』、11月『南島譚』を刊行するが、12月4日持病喘息(ぜんそく)によって死去多磨墓地に葬られる。第二次世界大戦下文学の清冽(せいれつ)な一脈である。横浜高女旧校地に文学碑、日大法学部図書館に中島敦文庫がある。

[佐々木充]

『『中島敦全集』全三巻(1976・筑摩書房)』『佐々木充著『中島敦』(1968・桜楓社)』『中村光夫他編『中島敦研究』(1978・筑摩書房)』『佐々木充著『中島敦の文学』(1973・桜楓社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「中島敦」の意味・わかりやすい解説

中島敦 (なかじまあつし)
生没年:1909-42(明治42-昭和17)

小説家。東京生れ。東大国文科卒。祖父は漢学者中島撫山,伯父にも漢学者が多く,父は中学の漢文教師。1933年横浜高等女学校の教師となり,かたわら作家を志して習作にはげんだ。持病の喘息悪化のため,転地療養を兼ねて41年パラオの南洋庁に赴任するが,健康を害して翌年帰京。唐代の伝奇《人虎伝》を素材にした《山月記》が深田久弥の推挽で42年2月の《文学界》に掲載されて文壇にデビュー。同年5月発表の《光と風と夢》も好評で以後創作に専念。《光と風と夢》《南島譚》(ともに1942)と相次いで創作集を刊行するが,同年12月喘息のため没。43年《弟子》《李陵》が遺稿として発表された。戦時下の文学空白期に彗星のごとき光芒を放つ中島の文学は,格調正しい明晰な文体で,人間と運命との格闘・相克のドラマの中に生のありようを実存的に追求している。それらは今日の現実的な課題を数多くはらんでおり,夭折が惜しまれる。
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百科事典マイペディア 「中島敦」の意味・わかりやすい解説

中島敦【なかじまあつし】

小説家。東京生れ。東大国文卒。祖父をはじめ,身内に漢学者,中国学者が多い環境に育った。1942年《文学界》に発表した《古譚》(《山月記》と《文字禍》の2編)《光と風と夢》等で認められたが,数え年34歳で喘息のため没した。評価の高まったのは,《弟子》《李陵》その他,中国古典に取材した作品が没後発表されてから。全集3巻がある。
→関連項目李陵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島敦」の解説

中島敦 なかじま-あつし

1909-1942 昭和時代前期の小説家。
明治42年5月5日生まれ。漢学者中島撫山(ぶざん)の孫。昭和8年横浜高女の教師となる。持病の喘息(ぜんそく)にくるしみながら創作にはげむ。16年南洋庁国語教科書編集書記としてパラオに赴任。17年帰国。このころから「山月記」「光と風と夢」がみとめられるが,同年12月4日死去。34歳。遺稿に「李陵」がある。東京出身。東京帝大卒。
【格言など】人生は何事もなさぬにはあまりに長いが,何事かをなすにはあまりに短い(「山月記」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中島敦」の意味・わかりやすい解説

中島敦
なかじまあつし

[生]1909.5.5. 東京
[没]1942.12.4. 東京
小説家。漢学,中国文学に造詣の深い儒学の家に生れ,1933年東京大学国文学科卒業。『中央公論』の公募に応じた『虎狩』 (1934) や,代表作『山月記』を含む『古譚』 (42) ,『光と風と夢』 (42) で作家としての地位を確立。パラオ南洋庁書記の職を辞して作家生活に入ろうとしたが,持病の喘息のために夭折した。没後,『李陵』 (43) ほか『弟子』『名人伝』などが相次いで発表され,非凡な才能が高く評価された。

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世界大百科事典(旧版)内の中島敦の言及

【スティーブンソン】より

…子どものころから文章作法の修業に努めただけあって,彼の文体は模範的といわれる。彼の作品は日本でも愛読されているが,小説家中島敦はとくに彼を愛し,《光と風と夢》(1942)という伝記を書いている。【小池 滋】。…

※「中島敦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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