京都帝国大学、京都大学で起こった学問の自由、大学の自治にかかわる事件で、戦前の沢柳(さわやなぎ)事件、滝川(たきかわ)事件、および戦後の事件をいう。
[佐藤能丸]
1913年(大正2)、東北帝大総長より京都帝大総長となった沢柳政太郎は、就任まもない7月に大学改革と沈滞一掃を名目にして、教授会に諮らず独断で、教育学の谷本富(とめり)教授ら文・医・理工系7教授に辞表を提出させた。その独断専行的なやり方に対して、大学の自治を破り学問の独立を無視するものとして、学内より批判行動が起こった。翌年1月14日には、もっとも強く反対していた法科大学教授陣四十数名が辞表を提出し、学生たちもこれを支援した。休講は前年より数十日間も続いていた。結果は、ついに1月24日、教授陣は奥田義人(おくだよしと)文相より「教授ノ任免ニツイテハ総長カ職権ノ運用上教授会ト協定スルハ差支ナク且(か)ツ安全ナリ」との覚書を得、4月に沢柳の免官が発令され、総長互選制も確認された。この事件により、以後、教授会が教授任免に関する権限を慣行的に有するようになった。
[佐藤能丸]
1932、33年(昭和7、8)には、共産党をはじめ左翼への弾圧は苛烈(かれつ)を極め、司法官赤化事件などが起こるなかで、弾圧の矛先はしだいに自由主義者にまで向けられるに至った。右翼団体原理日本社などはその尖兵となって自由主義的な帝大教授を「赤化教授」と攻撃、京大法学部教授滝川幸辰(ゆきとき)もその1人として槍玉(やりだま)にあげられていた。最初は32年10月の滝川の講演「トルストイの『復活』に現れた刑罰思想」が問題にされ、国家批判的言辞が不穏当だとして文部省から京大に伝えられた。ついで33年3月の第64議会で政友会の宮沢裕(ゆたか)が、滝川の著書『刑法読本』を例にとり、文部大臣鳩山(はとやま)一郎に赤化教授取締りの決意をただしたのに対し、鳩山は取り締まる方針だと答えた。その直後から文部省も『刑法読本』を俎上(そじょう)にのせ、その客観主義刑法理論は国家否認につながると批判、さらにその後、内乱罪と姦通(かんつう)罪の説明が危険だとして攻撃を加えた。4月10日に滝川の『刑法読本』と『刑法講義』が内務大臣によって発禁処分にされると、文部省はこれを受けて滝川の辞任を要求した。法学部教授会はこれを拒否したが、文部省は5月25日高等文官分限委員会を開いて滝川の休職を一方的に決定した。翌日、法学部教授会は学問研究の自由と大学の自治の蹂躙(じゅうりん)に抗議して、一同小西重直(しげなお)総長に辞表を提出した。法学部をはじめ各学部の学生は学生大会を開いて教授会支持と文部省への抗議を声明し、教授を歴訪激励、他大学および市民へのアピール、文部大臣への直接抗議を行うなど果敢に運動を展開した。全国各大学の学生もこれに呼応する動きをみせ、世論も京大法学部を支持、文部省を批判した。しかし6月14日の小西総長辞職後、松井新総長の下での切り崩し策によって7名の教授が残留、結局、滝川、佐々木惣一(そういち)、宮本英雄、末川博(すえかわひろし)ら7名の教授と助教授4名、講師・助手・副手8名が辞職、学生の組織も警察と大学当局の弾圧によってつぶされ、運動は敗北に終わった。この事件を最後に組織的抵抗運動はもはや不可能となった。
[北河賢三]
第二次世界大戦後の著名な事件としては、京大病院附属厚生女学部事件、天皇事件、滝川総長負傷事件がある。
(1)京大病院附属厚生女学部(看護婦学校)事件 1949年(昭和24)4月28日、卒業生の不採用問題から看護婦がハンストに入り、いちおう解除ののちふたたびハンストに突入し、5月18日戦後初の警察官導入が行われた。
(2)天皇事件 1951年(昭和26)11月12日、京大全学生自治組織の同学会は、天皇の来学に際し「平和の歌」で迎え、再軍備問題につき天皇に「公開質問状」を提出しようとした。このため学内に警察官が導入され、これを契機に15日同学会は解散され、執行委員8名が処分された。
(3)滝川総長負傷事件 1954年(昭和29)6月3日、創立記念祭の計画をめぐり、再建されていた同学会と大学当局が対立し、学生が滝川幸辰総長に抗議中負傷を負わせたというもので、暴行事件として法廷に持ち込まれ、5日には同学会が解散された。
[佐藤能丸]
『高桑末秀著『日本学生社会運動史』(青木文庫)』▽『滝川幸辰著『激流』(1963・河出書房新社)』▽『多田道太郎編『自由主義』(『現代日本思想大系18』1965・筑摩書房)』▽『看護二十年史編集委員会編『看護二十年史』(1967・メヂカルフレンド社)』▽『京都大学七十年史編集委員会編『京都大学七十年史』(1967・京都大学)』▽『松本清張著『昭和史発掘6』(文春文庫)』▽『『現代史資料42 思想統制』(1976・みすず書房)』▽『京都帝国大学学生運動史刊行会編『京都帝国大学学生運動史』(1984・昭和堂)』
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…たとえば,沢柳事件(1913‐14)のように,大学が,慣習法上,人事権を獲得しえた事実も存したが,その後,とくに,満州事変以降,学問の自由や大学の自治に対し,抑圧が加えられたことは周知のとおりである。滝川事件(京大事件,1933)はこの事実を象徴的に示したものといえる。旧憲法に対し,現行の日本国憲法は,〈学問の自由は,これを保障する〉(23条)と定めた。…
…1933年京都帝国大学教授滝川幸辰(ゆきとき)と京都帝国大学に対する思想および学問の自由,大学の自治(教授会の自治)の弾圧事件。京大事件ともいう。1930年代初めの思想問題(大学生の〈赤化〉問題)に危機感を抱いた復古主義的右翼は,その原因が自由主義思想にあるとして,東大の美濃部達吉,牧野英一,末弘厳太郎や京大の滝川ら自由主義的法学者を非難していたが,32年に滝川が中央大学で行った講演(〈《トルストイの《復活》に現はれた刑罰思想〉)をとらえ攻撃を開始した。…
※「京大事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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