20世紀日本人名事典 「奥田義人」の解説 奥田 義人オクダ ヨシト 明治・大正期の官僚,政治家,法学者,男爵 東京市長;法相;貴院議員(勅選);衆院議員;中央大学学長。 生年万延1年6月14日(1860年) 没年大正6(1917)年8月21日 出生地因幡国鳥取(鳥取県鳥取市) 学歴〔年〕東京大学〔明治17年〕卒 学位〔年〕法学博士 経歴農商務省に入り、拓殖務、農商務、文部各次官、法制局長官、衆院書記官長などを務め、明治36年衆院議員に当選、当選2回。45年勅選貴院議員。大正2年山本内閣の文相、3年法相、4年東京市長となった。一方、民法に精通、英吉利法律学校を創立に関わり、明治45年後身の中央大学学長となった。死去に際し男爵に叙せられる。著書に「民法親族法論」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「奥田義人」の解説 奥田 義人オクダ ヨシト 肩書貴院議員(勅選),衆院議員,東京市長,法相,中央大学学長 生年月日万延1年6月14日(1860年) 出生地因幡国鳥取(鳥取県鳥取市) 学歴東京大学〔明治17年〕卒 学位法学博士 経歴農商務省に入り、拓殖務、農商務、文部各次官、法制局長官、衆院書記官長などを務め、明治36年衆院議員に当選、当選2回。45年勅選貴院議員。大正2年山本内閣の文相、3年法相、4年東京市長となった。一方、民法に精通、英吉利法律学校を創立に関わり、明治45年後身の中央大学学長となった。死去に際し男爵に叙せられる。著書に「民法親族法論」など。 没年月日大正6年8月21日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥田義人」の解説 奥田義人 おくだ-よしと 1860-1917 明治-大正時代の官僚,政治家。万延元年6月14日生まれ。農商務省にはいり,拓殖務,農商務,文部の次官をつとめる。明治36年衆議院議員(当選2回)。大正2年第1次山本内閣の文相,翌年法相となった。4年東京市長。民法に精通し英吉利(イギリス)法律学校の創設にかかわり,後身の中央大学長をつとめた。貴族院議員。大正6年8月21日死去。58歳。因幡(いなば)(鳥取県)出身。東京大学卒。著作に「民法親族法論」など。【格言など】人生の基点は一日にあり(郷里の後輩にあたえた訓) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「奥田義人」の解説 奥田 義人 (おくだ よしと) 生年月日:1860年6月14日明治時代;大正時代の政治家;法学者。衆議院議員;中央大学学長1917年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by