児童を大人中心・教師中心の立場からみて教授・訓練するのではなく、児童の人格とその独自性を認め、児童の自由・活動・興味・自発性を尊重して、教育はすべて児童の発達を中心として行われるべきであるとする教育の主張。
[山崎高哉]
この主張の源流はルソーに求められる。彼は『エミール』(1762)において、児童を大人への準備段階にある未熟で不完全な存在であるとみなしていた従来の見解に対して、「子供は獣(けもの)であっても成人した人間であってもならない。子供でなければならない」と力説し、児童の人格および児童期はそれ自体固有の価値をもつものであり、教育は児童の本性に干渉することなく、その「自然の歩み」に従い、その自由な発展を保護し、援助することであると提唱した。
ルソーのこの思想は、その後ペスタロッチやフレーベルらによって継承・深化され、20世紀初頭エレン・ケイによって現代に復活させられた。彼女の著作『児童の世紀』(1900)はドイツで大反響をよび、当時勃興(ぼっこう)しつつあった芸術教育運動と相呼応して、「児童から」Vom Kinde aus(ドイツ語)を標語に掲げた新教育運動を生んだ。
[山崎高哉]
一方アメリカでも、教育の中心が児童の外側にあった旧学校を、児童が「太陽」となり、その周りを教育の諸々の営みが回転する新学校に改造しようとしたデューイの実験学校(1896~1904)を皮切りに、1910年代から20年代にかけて、多くの「児童中心学校」child-centered schoolが設立された。これらの学校の主義主張は多岐にわたるが、そのほぼ共通した目標は、児童に自然に発達する自由を与え、児童の興味を学習の動機とし、教師は監督者としてではなく、ガイドとしての自覚をもって児童を援助し、また児童の心身の発達を科学的に研究することなどであった。日本における大正期や第二次世界大戦後の新教育運動もこうした児童中心主義の系譜に属していた。
児童中心主義に対する批判は、おもに、児童の自然的本性をあくまでも善とみる楽天性・観念性や、あまりにも個人主義的で、教育の社会性への認識の甘さに向けられる。いずれも児童中心主義の弱点をつくものであるが、伝統的な教師中心の教育に対し、児童こそ教育の主体であり、教育は児童の心身の発達の的確な把握から始まらねばならないことを認識させた児童中心主義の功績はけっして見逃されてはならない。
[山崎高哉]
『ルソー著、今野一雄訳『エミール』(岩波文庫)』▽『ケイ著、原田実訳『児童の世紀』(1960・玉川大学出版部)』▽『デューイ著、宮原誠一訳『学校と社会』(岩波文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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