中央公論社発行の女性月刊誌。1913年(大正2)7月発行の『中央公論』臨時増刊・婦人問題号の好評が引き金になって16年1月創刊。初代編集長は先の臨時増刊を企画した嶋中(しまなか)雄作。女権拡張を目ざす女性教養誌として出発、しばしば女性の生き方をめぐる論争の舞台となった。その点、総合雑誌的で、生活記事中心の他の女性雑誌と異質であった。太平洋戦争末期の44年(昭和19)3月号を最後に廃刊に追い込まれたが、46年(昭和21)4月復刊、その後、オピニオン誌からしだいに「おんな」の性などにもページを割くようになってきた。90年代後半になり、判型を大きくしたりしてイメージを変えようとしている。なお、中央公論社は、1999年(平成11)2月読売新聞社の100%子会社となり、中央公論新社となった。
[岡 満男・田村紀雄]
『中央公論社編・刊『婦人公論の五十年』(1965)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1916年(大正5)1月に中央公論社から創刊された女性雑誌。女性の解放と自立を提唱し,従来の婦人雑誌に多い実用記事を排して,婦人・女学生・家族などをめぐる諸問題をとりあげ,おもに知識層女性の支持を得る。第2次大戦前では与謝野晶子と平塚らいてうの間の「母性保護論争」,「柳原白蓮恋愛事件」の特集,戦後では「女子学生亡国論」などの話題が有名。70年代には大衆娯楽化へ編集方針を転換し,現在に至る。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…さらに明治時代末より福田英子による《世界婦人》(1907),平塚らいてうらによる《青鞜》(1911)など,女性自身の手になる雑誌が発行され,反響を呼んだ。こうしたオピニオン中心の女性雑誌は,日本の女性雑誌史の稜線をなしており,大正期に創刊された《婦人公論》(1916),《女性改造》(1922),昭和期の《女人芸術》(1928)などもその系譜を継いでいる。とくに《婦人公論》は,第2次世界大戦前から戦後にかけて,女性をめぐる諸問題の論争に舞台を提供してきたが,1960年代に性格を変え,これに代わって,評論機能をになっているのは,70年代初頭のウーマン・リブ運動に触発された群小のミニコミ誌である。…
※「婦人公論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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