俳人。本名信一(のぶかず)。東京日本橋区蠣殻町(現、中央区日本橋人形町)生れ。川端龍子(りゅうし)は12歳年上の異母兄。独協中学卒業後、藤島武二の絵画研究所に通い、のちに岸田劉生(りゅうせい)に師事した。1915年(大正4)『ホトトギス』に初入選し、1924年雑詠欄の巻頭を得た。その間武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の「新しき村」の村外会員になったり、京都東福寺の塔頭(たっちゅう)正覚庵(しょうがくあん)に寄寓するなど、求道的な生き方を追究した。1931年以降は脊椎カリエスにより、大田区大森の自宅で約十年に及ぶ病臥生活を続けた。『川端茅舎句集』(1934年、玉藻社)の中の句「金剛の露ひとつぶや石の上」、または第二句集『華厳(けごん)』序に記された高浜虚子の「花鳥諷詠真骨頂漢」という言葉から、「茅舎浄土」と評された作者の俳境がうかがえる。
[瓜生鐵二]
『野見山朱鳥著『川端茅舎の俳句』(1969・菜殻火社)』▽『石原八束著『新訂人と作品 川端茅舎』(1979・桜楓社)』
大正・昭和期の俳人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
俳人。東京生れ。本名信一(のぶかず)。父は漢詩,俳諧,書画をたしなんだ風流人で,その芸術的な血は茅舎にも継がれ,画家川端竜子は異母兄である。1921年,洋画を志し岸田劉生に師事,かたわら15年以降《ホトトギス》などへの投句遍歴を続けた。31年,脊椎カリエスのため画業を断念,高浜虚子に師事し句作に没頭し,《ホトトギス》に茅舎,松本たかし,中村草田男時代を画した。以後没年まで闘病生活の中でいっさいを句作に傾注し《川端茅舎句集》(1934),《華厳》(1939)などの句集を残した。その句境は茅舎浄土と呼ばれ,洋画に学んだ対象への凝視力,鋭敏な感覚,写生の徹底,求心的な意志力が相乗して,単なる写生を超えた自然礼賛の唯心的美的渾然境を格調高い緊張した調べでうたい上げたものであった。虚子は茅舎を評して“花鳥諷詠真骨頂漢”と言っている。〈金剛の露ひとつぶや石の上〉(《川端茅舎句集》)。
執筆者:川名 大
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