森光子(読み)モリミツコ

デジタル大辞泉 「森光子」の意味・読み・例文・類語

もり‐みつこ【森光子】

[1920~2012]女優京都の生まれ。本名、村上美津。はじめ子役として映画出演昭和36年(1961)舞台放浪記」の主人公林芙美子を演じて話題となる。以降、舞台のほかテレビドラマや映画などでも幅広く活躍。平成17年(2005)文化勲章、平成21年(2009)国民栄誉賞受賞。

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百科事典マイペディア 「森光子」の意味・わかりやすい解説

森光子【もりみつこ】

女優。京都市木屋町生まれ。旧制京都府立第一高等女学校中退従兄の嵐寛十郎のプロダクションで女優を志願し1935年映画デビュー,その後に新興キネマに所属して多くの映画に出演するがいずれも二線級の映画で,森自身も芽が出なかった。後年,この頃見た豊田四郎監督作品《小島の春》(1940年)の杉村春子の演技にこれ以上ないほどの衝撃を受け,10代の頃から杉村を生涯の師としたと回想している。1941年,21歳で歌手をめざし,戦時中は軍の慰問団で東海林太郎の前座歌手として中国戦線,南方戦線を巡回した。戦後肺結核を患い闘病生活を続けたが,黎明期の関西のTVでコメディー番組などで復帰,1958年,梅田コマ劇場で舞台出演しているのを東宝菊田一夫に見出され,芸術座公演《花のれん》の脇役に起用される。1961年,芸術座の林芙美子原作・菊田一夫脚本《放浪記》の主役・林芙美子を演じ,初演で8ヵ月のロングランとなり,テアトロン賞,芸術祭文部大臣賞受賞。以後通算2017回の出演を果たし,生涯の当たり役となった。舞台での活躍と並行して,TBSドラマ《時間ですよ》(1970年―1973年,以後シリーズ化)など多くのTVドラマにも出演,〈お母さん〉役で人気を博した。文化勲章受章(2005年),国民栄誉賞受賞(2009年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森光子」の意味・わかりやすい解説

森光子
もりみつこ

[生]1920.5.9. 京都,京都
[没]2012.11.10. 東京
女優。本名村上美津。1935年子役として映画デビュー。幼少時から従兄の嵐寛寿郎の時代劇映画に多数出演した。京都府立第一高等女学校に進むが,母の死で中退。歌手などを経て,1952年秋田実主宰の宝塚新芸座に入団,ラジオ番組で関西地方の人気者となる。1958年菊田一夫の勧めで上京。1961年菊田作『放浪記』で林芙美子役に抜擢され,数々の賞を受賞。以後主として舞台,テレビで活躍。舞台では常に創作戯曲に取り組み,テレビでは『時間ですよ』(東京放送 TBS系)などホームドラマの庶民的おかみさん役で知られる。芸術祭大賞,芸術選奨文部大臣賞,毎日芸術賞ほか受賞多数。1998年文化功労者に選ばれ,2005年文化勲章受章。2009年に『放浪記』が初演以来 2000回をこえるロングランを記録し,国民栄誉賞を授与された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森光子」の解説

森光子 もり-みつこ

1920-2012 昭和-平成時代の女優。
大正9年5月9日生まれ。伯父の嵐寛寿郎の映画に子役で出演。昭和33年菊田一夫にみいだされ上京,舞台「花のれん」に出演,36年「放浪記」の林芙美子役でスターとなる。その後舞台「おもろい女」がヒット,映画「台所太平記」やテレビドラマ「時間ですよ」など幅ひろく活躍。NHK紅白歌合戦紅組司会も3回つとめた。平成10年文化功労者。17年朝日舞台芸術賞特別賞。同年文化勲章。21年「放浪記」上演回数2000回を達成。同年国民栄誉賞。平成24年11月10日死去。92歳。京都府出身。本名は村上美津。

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367日誕生日大事典 「森光子」の解説

森 光子 (もり みつこ)

生年月日:1920年5月9日
昭和時代;平成時代の女優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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