宗教上の信仰を貫き,そのために迫害されて死ぬこと。主としてキリスト教やイスラムのような一神教の世界で発生し,重要視された。仏教文化圏では,大衆の苦難をわが身に引きうける受苦(菩薩行)の思想が生みだされたが,死の強制を引きうける殉教という考え方は育たなかった。キリスト教のなかでも殉教martyrdomをすぐれた徳行としたのはカトリック教会であり,とくにキリスト教徒迫害の時代に信仰を守るために死を選んだ者を殉教者martyrとしてたたえた。日本のキリシタン迫害史のうえでは長崎で殉教した〈二十六聖人〉がよく知られている。殉教者を葬る墓所の上には教会堂や礼拝堂,記念堂が建てられ,その祭壇には殉教者の遺物がまつられるのが普通であり,彼らの殉教を記念して行われる祝日の典礼色は赤で,キリストのために流された血を象徴している。その点でキリスト教徒の殉教の背後には,神のための動物犠牲と共通する観念が横たわっているといえよう。なおプロテスタントでは罪の赦しはキリストの贖罪によるとするから,殉教には特別の意味を認めていない。
執筆者:山折 哲雄
殉教者は勝利を象徴するシュロの小枝をもち,持物としてそれぞれの殉教具(ステファヌスの石,アレクサンドリアのカタリナの車輪など)を携えて表されることが多い。初期キリスト教時代にとくに盛んであった殉教者の崇敬に伴って,彼らの墳墓,聖遺物容器に画像による装飾が行われ,さらにこれらに関連して建造された各種の殉教者記念堂(マルテュリウムmartyrium)に,殉教と殉教者にちなんだ大規模な図像が展開された(初期キリスト教美術)。殉教の図像は主として以下の二つに分けられる。(1)祈念,崇敬のために殉教者を肖像として表現したもの。小型で携行できるメダル,聖油瓶に始まり,イコンから大型のモザイクに至るまで,無数の殉教者像がキリスト教世界に流布して今日に至っている。殉教者はオランスorans(祈る人)の姿で,あるいは守護聖人として発願者とともに,あるいはキリストから勝利の桂冠を授けられる姿で表される。(2)殉教場面を頂点とする物語的表現。聖人伝研究(ハギオグラフィカHagiographica)に従い,想像力を駆使してあらゆる種類の拷問,殉教場面が考案された。アレクサンドリアのカタリナの殉教(マソリーノ・ダ・パニカーレ,サン・クレメンテ教会のサンタ・カテリナ礼拝堂壁画,ローマ,1430ころ),セバスティアヌスの殉教(マンテーニャ,ウィーン美術史美術館,1455-60ころ)などはとくに知られる。いわゆる教会月暦画(メノロギオンmēnologion)挿絵はこのような図像の集成である(バシレイオス2世のメノロギオン挿絵,バチカン図書館,985-1025)。
執筆者:辻成史
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一般には、信仰のために苦難を受け命を捧(ささ)げることをいう。とくにキリスト教で、迫害の時代に、自己の信仰のために苦難を受け、命を捨てた人々を殉教者といい、その死を殉教という。殉教者はギリシア語で本来「証人」を意味し、イエスの生涯とその復活の証人である使徒をさすことばであったが、2世紀以降、迫害が激化するにつれて、意味の転化がおこった。テルトゥリアヌスが「キリスト教徒の血は種子である」といっているように、殉教者は教会発展の礎(いしずえ)として非常に尊敬され、信仰を告白して苦難を受けたが殺されはしなかった証聖者と区別された。石で殺されたステパノが最初の殉教者とされる(使徒行伝)。パウロやペテロ、イグナティオス、ユスティノスなど多くの殉教者が知られている。
2世紀後半の『ポリュカルポス殉教記』では、殉教者の遺物を尊び、死の記念日を祝っており、やがて殉教者は聖人として崇敬されるに至った。記念日にはミサがあげられ、神にとりなしをする者として、殉教者の功徳は信徒の救いに有効とされ、4世紀以降、墓所の上に教会が建てられた。そして、殉教録という殉教者その他の聖人を年間の記念日の順に配列した名簿がつくられ、聖務日課のときに朗読された。なお中世以降も、キリスト教の宣教に伴って、ヨーロッパの内外で信仰のために多くの血が流された。日本においても、キリシタンの迫害は激しく、とくに長崎で殉教した「日本二十六聖人」は有名である。
[木寺廉太]
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