沢庵宗彭(読み)タクアンソウホウ

デジタル大辞泉 「沢庵宗彭」の意味・読み・例文・類語

たくあん‐そうほう〔‐ソウハウ〕【沢庵宗彭】

[1573~1646]江戸初期の臨済宗の僧。但馬たじまの人。一凍紹滴の法を継ぎ、大徳寺住持となる。寛永6年(1629)紫衣事件出羽に流され、のち赦免。徳川家光建立の東海寺開山となる。著「不動智神妙録」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「沢庵宗彭」の解説

沢庵宗彭
たくあんそうほう

1573.12.1~1645.12.11

江戸前期の臨済宗の禅僧。諱は秀喜のち宗彭,字は沢庵但馬国の秋庭氏の出身。1586年(天正14)但馬宗境(すきょう)寺内にある勝福寺の希先秀先について得度。京都大徳寺の春屋宗園(しゅんおくそうえん)に師事して宗彭と諱を改める。諸僧に学び,1609年(慶長14)大徳寺の住持となる。宗境寺ほか諸寺の復興につとめる。29年(寛永6)には,紫衣(しえ)事件の中心人物の1人として出羽上山(かみのやま)に配流される。32年ゆるされて江戸に帰る。徳川頼房柳生宗矩(むねのり)らの帰依をうけ,江戸品川東海寺ほかの開山となる。著書「不動智神妙録」「臨済録抄」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢庵宗彭」の解説

沢庵宗彭 たくあん-そうほう

1573-1646* 織豊-江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)元年12月1日生まれ。臨済(りんざい)宗。10歳で出家し,春屋宗園(しゅんおく-そうえん)らに師事。一凍紹滴(いっとう-しょうてき)の法をつぐ。慶長14年大徳寺住持となる。寛永6年紫衣(しえ)事件で出羽(でわ)上山(山形県)に流罪となった。3年後ゆるされ,江戸品川に東海寺を創建した。正保(しょうほ)2年12月11日死去。73歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。俗姓は秋庭。著作に「沢庵和尚法語」「不動智神妙録」など。
格言など】心をいずこにも止めぬが眼なり肝要なり

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367日誕生日大事典 「沢庵宗彭」の解説

沢庵宗彭 (たくあんそうほう)

生年月日:1573年12月1日
安土桃山時代;江戸時代前期の臨済宗の僧
1646年没

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「沢庵宗彭」の意味・わかりやすい解説

沢庵宗彭
たくあんそうほう

沢庵

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