日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤蔭静樹」の意味・わかりやすい解説
藤蔭静樹
ふじかげせいじゅ
日本舞踊家。
初世
(1880―1966)藤蔭流(ふじかげりゅう)の創流者。新潟に生まれる。本名内田八重(やえ)。女役者市川九女八(くめはち)の門下となり、内田静江を名のるが、役者を断念。2世藤間勘右衞門(ふじまかんえもん)に入門、1910年(明治43)藤間静枝(しずえ)の名を許される。新橋の芸妓(げいぎ)となり、14年(大正3)に永井荷風(かふう)と結婚したが、翌年破局を迎えた。17年に藤蔭(とういん)会をおこし新舞踊運動の先駆者として活躍。また29年(昭和4)にはパリ公演を行い、ヨーロッパに初めて正統的な日本舞踊を紹介した。31年藤間姓を返上し藤蔭流を創流、家元藤蔭静枝となる。57年(昭和32)初世の門弟美代枝(みよえ)に静枝名を譲り、藤蔭静樹を名のり翌年宗家となる。しかし、2世静枝とは袂(たもと)を分かつことになった。64年文化功労者。『思凡(しぼん)』『蛇身厭離(じゃしんおんり)』『訶梨帝母(かりていも)』『お蝶(ちょう)夫人』など多数の創作舞踊がある。
[如月青子]