朝日日本歴史人物事典 「雪村周継」の解説
雪村周継
室町末期から桃山初期の禅僧,画家。鶴船,中居斎,舟居斎 の別号がある。永正1(1504)年ごろの生まれで,1580年代に没したとする説が広く支持されているが,10年ほど生年が遡るとする説が近年提示されている。常陸太田(茨城県)の武家佐竹氏の嫡子に生まれたが,出家して禅僧となった。太田にある佐竹氏の菩提寺正宗寺には雪村の初期の作品が伝わる。会津(福島県)の蘆名盛氏と交渉を持ち,のちに小田原,鎌倉を遍歴して,北条氏康・氏政,早雲寺開山以天宗清,円覚寺住持の景初周随らの知遇を得た。生涯上洛することのなかった雪村にとって,小田原・鎌倉遍歴時代は中国絵画や室町の先人の作品に接し得た重要な期間であった。晩年は奥州田村(福島県)の三春の地に隠棲し,八十余歳で没した。同地には現在,江戸時代に雪村を偲んで建てられた雪村庵がある。雪舟に私淑したと伝えるが,直接の師弟関係はない。 雪村の現存作品は同時代の画家に比べて異例に多く,100点を超え,山水,人物,花鳥,走獣とあらゆる領域にわたる。しかし制作年代が判明するものは晩年の数点のみであって,その他の作品の編年は,十数種類におよぶ印章の分類と様式分析によっている。「夏冬山水図」(京都国立博物館蔵)に代表される最初期の作品は雪舟の影響が濃厚で,その後の「風濤図」(野村美術館蔵),「楊柳水閣図」(個人蔵)などでは繊細さとダイナミックな表現とが同調した独特の画境を示す。壮年期の代表作「呂洞賓図」「花鳥図屏風」(大和文華館蔵)では動勢表現がより強調され,この傾向は晩年により強まる。最晩年の作品には粗放なものが多いが,そのなかにあって「自画像」(大和文華館蔵)は,山間に隠棲する姿を枯淡な筆致で描いた特異な肖像画である。なお天文11(1542)年の年記のある「説門弟資云」は,雪村の画論として名高いが,偽書とする説も一部にある。<参考文献>茨城県立歴史館編『雪村―常陸からの出発』,講談社『日本美術全集』13巻
(山下裕二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報