高橋節郎(読み)たかはしせつろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋節郎」の意味・わかりやすい解説

高橋節郎
たかはしせつろう
(1914―2007)

漆芸(しつげい)家。長野穂高(ほたか)町(現安曇野(あづみの)市)に生まれる。1938年(昭和13)東京美術学校漆工科卒業。41年第4回新文展で「木瓜(ぼけ)の図二曲屏風(びょうぶ)」が特選、51年(昭和26)第7回日展で『星座』が朝倉賞を受賞。53年より日展審査員を8回務め、65年『化石譜』で日本芸術院賞、『蜃気楼(しんきろう)』で文部大臣賞を受けた。また1964年以来、日本現代工芸美術展に続けて出品し、現代工芸美術家協会の指導者として現代性に富む漆芸創作運動を進め、76年東京芸術大学教授となり後進の指導にあたった。81年作品集『漆・高橋節郎黒と金の世界』を刊行し、同年10月東京芸術大学陳列館で『高橋節郎漆芸展』を開催。82年東京芸術大学教授退官。97年(平成9)文化勲章受章

[郷家忠臣]

『『漆・高橋節郎黒と金の世界』(1981・京都書院)』『白石和己監修『漆の黒光のメッセージ』(1998・朝日新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋節郎」の意味・わかりやすい解説

高橋節郎
たかはしせつろう

[生]1914.9.14. 長野,穂高
[没]2007.4.19. 東京
漆芸家。 1940年東京美術学校研究科卒業。 1941年文部省美術展覧会 (新文展) 特選,以後同展に出品を続ける。 1951年日本美術展覧会 (日展) で特選。 1960年『蜃気楼』で文部大臣賞受賞。 1965年『化石譜』で芸術院賞受賞。 1976~82年東京芸術大学教授。 1981年芸術院会員。刀で描いた文様線上金箔金粉を埋め込む鎗金 (沈金 ) 技法に,彩漆 (いろうるし) ,螺鈿蒔絵などを加味し,黒漆地のなかに花鳥風月のほか化石や星座,古墳などを幻想的に浮かび上がらせる作風で知られる。『二曲屏風 星座創記』 (1975) ,『二曲屏風 古墳群映』 (1977) などの代表作のほか,作品集『漆・黒と金の世界』がある。 1990年文化功労者に選ばれ,1997年文化勲章を受章。 2003年長野県安曇野市に安曇野高橋節郎記念美術館が開館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋節郎」の解説

高橋節郎 たかはし-せつろう

1914-2007 昭和-平成時代の漆芸家。
大正3年9月14日生まれ。昭和16年新文展特選。日展で活躍し,57年常務理事に就任。古墳や星座を題材漆黒に金などを配した幻想的な作品を発表,40年「化石譜」で芸術院賞。51年母校東京芸大の教授。53年現代工芸美術家協会理事長。56年芸術院会員。平成9年文化勲章。版画も手がけた。平成19年4月19日死去。92歳。長野県出身。

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