イギリスの劇作家。地方判事の子として生まれ,オックスフォード大学を中退したのち一時法曹学院に籍を置いたが,やがて文筆家を志し,匿名でオウィディウス風の物語を書いたりして青年時代を過ごした。最初の劇作品《女嫌い》(1606初演。以下初演年)はB.ジョンソンの影響を強く受けた気質喜劇であるが,第2作《輝けるすりこぎの騎士》(1607ごろ)は中世騎士道ロマンスを戯作化し,大衆劇場の観客の観劇態度を茶化しつつ,市民階級の無教養ぶりを揶揄(やゆ)した手の込んだ喜劇である。1608年ごろに始まり,5年後彼が結婚して作家生活を退くまで続いたジョン・フレッチャーJohn Fletcher(1579-1625)との緊密な共作活動は,およそ10編のきわめて統一のある作品を生み,後世〈ボーモント・アンド・フレッチャー〉という連名はあたかも単一作家の名のように扱われることになった。なかでも彼らの悲喜劇は独特の色合いをもち,しだいに貴族化しつつある観客の好みに合致して大きな人気を呼んだ。《フィラスター》(1609ごろ)および《王にして王にあらず》(1611)はその代表作であるが,いずれの場合にも悲劇と喜劇の融和は,スリルに富んだ場面効果を積み重ねて観客の緊張を極度に盛り上げたのち,大詰めで突然の逆転によってその緊張を緩め,観客に人為的な解放感を与えることによって達成される。《乙女の悲劇》(1611ごろ)をはじめとする悲劇では,極限に近い状況の中で絶望的な二者択一を迫られて苦悶する人物たちの悲哀に満ちた姿を刺激的に描くことに重点がおかれている。なおボーモントはその晩年,当時流行していた仮面劇を宮廷での余興用に書いている。
執筆者:笹山 隆
アメリカ合衆国テキサス州南東部の工業都市。人口11万1799(2005)。メキシコ湾と結ぶサビーン・ネチズ運河沿いにあり,大型船も接岸できる港をもつ。この運河沿いに大規模な精油所と石油化学工場が立地している。周辺地域に産する木材の加工や製紙,精米,食肉缶詰,金属加工などの工場もある。1901年,近くのスピンドルトップで石油が発見され,同州最初の石油ブームにわく都市となった。
執筆者:菅野 峰明
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