フレッチャー(読み)ふれっちゃー(その他表記)John Fletcher

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フレッチャー」の意味・わかりやすい解説

フレッチャー(John Fletcher、劇作家)
ふれっちゃー
John Fletcher
(1579―1625)

イギリス劇作家サセックスの聖職者の家に生まれる。彼は単独でもシェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』の後日物語ともいうべき『女の賞品』(1611ころ)など約15編の劇を書いたが、むしろ合作が多く、ことにフランシスボーモントとの合作で有名。2人の合作は実際には10編ほどだが、彼らの死後出版され、さらに1679年には増補して52編を集めて出された作品集が2人の合作の名を冠せられていることでも、その評判と影響が推測される。2人はおもに私設劇場のために書いたが、宮廷人を中心にしたその観客層の趣味を巧みに作品に反映させ、ロマンチックな悲喜劇『フィラスター』(1610ころ)や家庭悲劇的な『乙女の悲劇』(1611ころ)の傑作を残した。フレッチャーはほかにもマッシンジャーらと合作し、シェークスピアの『ヘンリー8世』にもかなり彼の手が加わっている。彼の作品はほとんど国王一座によって上演されたが、彼はシェークスピア引退後のこの劇団の座付作者としての責務を果たすとともに、エリザベス朝から王政復古期へのイギリス演劇の移行の中心人物としての役割をもりっぱに務めたのである。

[中野里皓史]

『小津次郎訳『世界文学大系89 乙女の悲劇』(1963・筑摩書房)』


フレッチャー(John Gould Fletcher、詩人、批評家)
ふれっちゃー
John Gould Fletcher
(1886―1950)

アメリカの詩人、批評家。アーカンソー州に生まれる。1908年ヨーロッパに渡り、1933年までロンドンに滞在。エズラ・パウンドらとともに詩における音楽的効果を強調するイマジズム運動をおこし、音楽、とくに絵画の技巧と禅や俳句など東洋の象徴性を詩に導入した。その後、神秘的傾向の詩『寓話(ぐうわ)』(1916)、『黒い岩』(1928)を発表。一時、南部の文学者たちの農本主義運動に加わり、機械文明を批判したが、1947年に運動から脱退。1938年出版の『詩選集』によってピュリッツァー賞を受けた。ある批評家はフレッチャーのことを評して「現代アメリカ詩のなかの偉大な夢想家」といったが、彼の詩人としての生涯を適切に指摘した表現である。

[秋山 健]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレッチャー」の意味・わかりやすい解説

フレッチャー
Fletcher, Joseph Francis III

[生]1905.4.10. ニューアーク
[没]1991.10.28. バージニア,シャーロットビル
アメリカのアングリカン・チャーチ神学者状況倫理の提唱者。ウェストバージニア大学,バークリー神学大学,エール大学,ロンドン大学,ケニヨン大学などで学び,オハイオ・ウェスレアン大学で博士号 (D. Litt.) を取得。 1929年牧師となり,シンシナティの応用宗教大学院,マサチューセッツ州のエピスコパル神学大学などで牧会学,キリスト教倫理学を教え,1970~75年バージニア大学で医療倫理学を講じた。 1963~64年国際基督教大学 ICU客員教授。他者への誠実の基礎として,自分自身への誠実をなにものにもまさって重視し,それを妨げる一切の道徳的規範原理をも排除する状況倫理を主張して論争を引き起こした。主著"Christianity and Property" (1947) ,"Moral and Medicine" (1954) ,"Mission to Main Street" (1961) ,"Situation Ethics" (1966) ,"Moral Responsibility" (1967) ,"Situation Ethics Debate" (1968) ,"The Ethics of Genetic Control" (1974) 。

フレッチャー
Fletcher, John

[生]1579.12. サセックス,ライ
[没]1625.8.25. ロンドン
イギリスの劇作家。 1608年頃から国王一座の専属作者として F.ボーモントと合作を始め,悲喜劇『フィラスター』 Philaster (1609) ,悲劇『乙女の悲劇』 The Maid's Tragedy (11) などを発表,ボーモントが 13年に結婚してケントに退き,シェークスピアも引退したため,国王一座の立作者となった。マッシンジャー,W.ローリー,T.ミドルトン,N.フィールドらと合作。『ボーモント=フレッチャー全集』 (47初版 34編,79増補 52編) に収められたもののほか,シェークスピアとは『ヘンリー8世』 HenryVIII (13) と『血縁の二公子』 The Two Noble Kinsmen (13) を合作。単独作には牧歌悲喜劇『貞淑な女羊飼い』 The Faithful Shepherdess (1608頃) などがある。いささか感傷的ではあるが舞台技巧に富んだ作品を書いた。

フレッチャー
Fletcher, Andrew

[生]1655. イーストロジアン
[没]1716.9. ロンドン
スコットランドの愛国者。 1681年スコットランド議会議員。 85年モンマス公の反乱に参加したが,同僚とけんかし,刺殺して大陸亡命。 88年ハーグでオランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世 ) と知合う。名誉革命後帰国。 W.パターソンの友人で,彼のダリエン計画を支持。 1703年スコットランド議会に復帰。本来,君主制にも民主制にも反対する貴族制の主唱者で,アン女王の治世にはイギリスとの合同に反対する愛国派のリーダーになった。合同の不可避を悟って妥協したが,スコットランド側にも有利な条件をかちとることに成功した。

フレッチャー
Fletcher, Sir Banister Flight

[生]1866
[没]1953.8.17.
イギリスの建築家,建築史家。 1884年父バニスター (1833~99) の助手となり,父との共著『比較法に基づく建築史』A History of Architecture on the Comparative Method (96) を出版。この著は各国語に翻訳され,著者の没するまでに 16版を重ねた。フレッチャーは弁護士の資格ももち,晩年は市政にも関与した。

フレッチャー
Fletcher, Giles

[生]1585頃.ロンドン
[没]1623.11. サフォーク,オルダートン
イギリスの詩人。 P.フレッチャーの弟。ケンブリッジ大学卒業。スペンサー連を用いた『キリストの勝利と凱旋』 Christs Victorie,and Triumph in Heaven,and Earth,over,and after death (1610) の作者。

フレッチャー
Fletcher, Phineas

[生]1582.4.8. 〈洗礼〉ケント,クランブルック
[没]1650. ノーフォーク,ヒルゲイ
イギリスの詩人。 G.フレッチャーの兄。ケンブリッジ大学卒業。人間の精神,肉体,美徳,悪徳についての寓意詩『紫の島』 The Purple Island (1633) が代表作。ほかに『いなご』 The Locusts (27) ,『ブリテンのアイダ』 Britain's Ida (28) など。

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改訂新版 世界大百科事典 「フレッチャー」の意味・わかりやすい解説

フレッチャー
John Gould Fletcher
生没年:1886-1950

アメリカの詩人。イマジズム運動の一翼を担った詩人として知られる。1908年から33年までヨーロッパに居住し,その時代のフランス詩に精通。《光輝》(1915),《悪鬼とパゴダ》(1916)にまとめられた自由詩形の短詩によってイマジズム詩の範例を示した。また〈ポリフォニック・プローズ〉と称してA.ローエルらとともに散文詩の実験も試みた。イマジズム運動の衰退後は,生れ故郷のアーカンソー州に戻り,詩風も穏健に保守的になっていった。
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フレッチャー
John Fletcher

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百科事典マイペディア 「フレッチャー」の意味・わかりやすい解説

フレッチャー

英国の劇作家。F.ボーモントと共作の悲喜劇《フィラスター》(1609年)や《乙女の悲劇》(1611年)で知られる。他の人との共作,単独の作もあり,シェークスピア没後の一時期劇壇を支配した。

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