リシツキー

百科事典マイペディア 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー

ロシア画家建築家,デザイナー。本名Lazar' Markovich Lisitskii。スモレンスク近郊のボチノク生れ。マレービチの提唱したシュプレマティズムの運動に参加,1919年より建築的な方向を目指した《プロウン(新しいものの確立計画)》を発表して注目された。革命後のロシアでシュプレマティズムが形式主義として批判されてから,1922年ドイツにいきバウハウスに協力,建築,ディスプレー,商業デザインなどの分野で活躍した。1926年に帰国してからも,ロシア構成主義の代表的な作家として主に宣伝美術に従事した。代表作に高層建築群のプロジェクト《雲の階梯》(1924年―1925年),U.S.S.R.展のポスター(1929年)などがある。
→関連項目チヒョールト

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー
Lissitzky, El

[生]1890.11.10. スモレンスク
[没]1941.12.30. モスクワ
ソ連の画家,デザイナー,建築家。本名 Lazar Markovich Lissitzky。ユダヤ人であったためモスクワ美術学校入学を断られ,ドイツのダルムシュタット工科大学で建築を学ぶ。 1919年モスクワに戻りマレービッチシュプレマティスムの影響を受け,抽象画を描く。革命後の 21年にモスクワ国立美術学校の教授となったが,同年末ソビエト政府が抽象芸術を排除したため,ドイツを経てスイス移住。 24年アメリカで展覧会を開き,25~28年ハノーバーで活躍,28年末にはモスクワで作品を発表した。幾何学的形態の構成による表現豊かな作風は,ヨーロッパの抽象美術に影響を与え,グラフィック・デザイン,タイポグラフィフォトモンタージュや建築の分野でも多くの業績を残した。西ヨーロッパの芸術家との交流が多く,構成主義を広めた功績も大きい。主要作品『プロウン』 (1924~25) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー
りしつきー
Лазарь Маркович Лисицкий/Lazar' Markovich Lisitukiy
(1890―1941)

ソ連の画家、建築家。雅号はエリ・リシツキーЭль Лисицкий/El' Lisitskiy。スモレンスク州ボチノク村生まれ。1909~14年ドイツのダルムシュタット工科大学に学び、革命後は一時シャガールが校長を務めたビテブスクの美術学校で教えたこともある。21~25年ドイツおよびスイスに滞在、オランダの「デ・ステイル」グループのメンバーとなった。20年代にはシュプレマティズムの影響の下、一連の宣伝ポスターを制作した。建築の分野でも活躍し、数々の実験的な設計図を発表したほか、紡績会館(1925)、プラウダ新聞社のコンビナート(1930)などの作品が有名。また書籍の挿絵や装丁、フォトモンタージュなど幅広い活躍を行い、モスクワに没。しかし、第二次世界大戦後の雪どけが訪れるまで、その仕事は正当に評価されず、近年ようやく本格的な研究が始まったところである。

[木村 浩]

『阿部公正訳『エル・リシツキー――革命と建築』(1983・彰国社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー
El' Lisitskii
生没年:1890-1941

ソ連邦のデザイナー。本名Lazar' Markovich Lisitskii。スモレンスクに近いポチノクの生れ。ドイツのダルムシュタットで建築を学び,革命後マレービチのもとで絵画から建築への展開を求める〈プロウン(新しいものの確立計画)〉を計画,1922年以降しばしば西欧に行って,ファン・ドゥースブルフ,モホリ・ナギ,アルプら多くの前衛芸術家と交わる。構成主義的なタイポグラフィー,写真を使ったグラフィック・デザイン,展示デザインを手がけ,内外のデザイン界・建築界に大きな影響を与えた。
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世界大百科事典(旧版)内のリシツキーの言及

【環境芸術】より

…しかし,絵画から額縁を取り去り,彫刻から台座を取り除き,建築空間や都市空間のなかに,それら自身を位置づける考えが生まれてきた。これは,1920年代のロシア構成主義や,オランダのデ・ステイルなどから生まれた考え方で,リシツキーやファン・ドゥースブルフの建築・造形観に代表される。その後60年代の芸術運動のなかで,はっきりと〈環境芸術〉という言葉が用いられるようになった。…

【シュプレマティズム】より

…色彩を持つ平面が独立の要素として,エネルギーの経済原則に従った〈経済的幾何学主義〉の名のもとに,新たに時・空間の中で地球と月の間の新しい衛星計画案へと展開した。リシツキーはこれをうけて,19年より〈プロウンPROUN(新しきものの確立のための計画)〉を計画し,スエティンNikolai Mikhailovich Suetin(1897‐1954)やチャシュニクIlia Grigorievich Chashnik(1902‐29)などもそれぞれシュプレマティズムの作品を制作した。シュプレマティズムと20年代の構成主義を含めて,革命前後の前衛的な芸術の動向を指すのに〈ロシア・アバンギャルド〉の語が使われることもある。…

※「リシツキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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