ポスター(その他表記)poster

翻訳|poster

デジタル大辞泉 「ポスター」の意味・読み・例文・類語

ポスター(poster)

広告・宣伝のための、図案・写真・文章などからなるはり紙。
[類語]パンフレットリーフレットブローシャー小冊子散らしびら折り込み折り込み広告中吊り

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精選版 日本国語大辞典 「ポスター」の意味・読み・例文・類語

ポスター

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] poster ) 一般公衆への視覚伝達を目的として柱や壁などに掲示される宣伝用の印刷物。
    1. [初出の実例]「女の浅猿しい心を惹く為に、呉服屋のポスターでも描くだらう」(出典:駅夫日記(1907)〈白柳秀湖〉一一)

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改訂新版 世界大百科事典 「ポスター」の意味・わかりやすい解説

ポスター
poster

人々の目につきやすい場所に掲示される大型の紙片をいう。屋外広告の一種。フランス語でアフィーシュaffiche,ドイツ語でプラカートPlakat。ポストpost(柱)にはられるためポスターと呼ばれたが,現在では駅構内,電車・バスの車内,塀,壁などにも掲示される。使用目的によって,商業ポスター,公共ポスター,政治ポスター,プロパガンダのためのポスター,観光ポスターなどに分類される。印刷版式としてはオフセット印刷がもっとも多く,他にグラビア印刷,原色版,リトグラフ石版印刷),シルクスクリーン印刷が用いられる。また印刷によらず手で描いたもの(描きポスター)も見られる。

 紙に印刷したポスター(あるいはビラ)は,活版印刷が発明された15世紀にすでに教会や国王による布告や宣伝として登場しているが,ほとんど文字主体のものであった。宣伝媒体としての近代的な機能を備え,また芸術的な効果をねらったポスターがあらわれるのは1830年代ごろ以降のことである。この時期に都市化が進み,商店に美しい装飾が施され,宣伝・広告が重視されるようになったことが,その原因となっている。また,1798年にオーストリアゼネフェルダーによってリトグラフが発明されて多色刷ポスターの大量生産が可能になる。1848年には1時間に1万枚刷ることができるようになり,66年には大型の印刷機がつくられ大判のポスターを刷れるようになった。このような技術的進歩を背景にポスター芸術がフランスで誕生するのである。

フランスの画家シェレJules Chéret(1836-1932)は現代ポスターの父といわれる。彼は目のくらむような色彩効果を発揮し,ポスターが芸術的実験を試みることができるメディアであることを示した。19世紀後半にパリで作られた,シェレの《ディアファン白粉》《ジェローデル香水》《サクソレーヌ石油》《オランピア劇場》《エルドラド》などのポスターにおいて,軽やかに踊る女や道化が印象派的な色彩の雲の中に浮かんでいる。サーカスやミュージック・ホールのスピーディな情景は彼が最も得意とするものであった。19世紀後半のパリでは万国博が開かれ,世界中から観光客がやってきて,モンマルトルからシャンゼリゼにかけて,キャバレーやミュージック・ホールがにぎわっていた。パリの壁には,人気スターを描いた巨大なポスターがはられていた。それらのポスターのうちで,際だったスタイルをもっていたのは,ロートレックミュシャである。二人はシェレの表現をさらに進めて,より平面的に画面を分割し太い輪郭線を使って,アール・ヌーボー様式のポスターをつくり,ポスターの黄金時代を築いた。アール・ヌーボーのポスター作家としては,他にボナール,ベルトンP.Berthon,ド・フールG.de Feure,グラッセE.Grasset,バロットン,オラジM.Oraziなどがいる。また,自然主義的なスタイルであるが,パリの庶民の表情をとらえているスタンランの存在も忘れがたい。ビレットA.Wilette,カッピエロL.Cappiello,フォランJ.-L.Forainもそれぞれ個性的である。ドイツ,オーストリアではシュトゥック,パウルB.Paul,モーザーK.Moserなどが,オランダではトーロップがアール・ヌーボーのポスターをつくっている。イギリスではビアズリー,マッキントッシュらが,アメリカではブラッドリーW.H.Bradley,パリッシュM.Parrish,リードL.Rhead,ペンフィールドE.Penfieldらが世紀末のポスター作家として有名。

 20世紀に入ると,より直線的で単純なスタイルがあらわれる。世紀末のアール・ヌーボーから1920年代のアール・デコへの変化である。カッピエロやホールワインL.Hohlwein(ドイツ)はこの過渡期に位置している。アール・デコのポスターを代表するのはカッサンドルCassandre(本名Adolphe Jean-Marie Mouron。1901-68)で,代表作《北星号》に見られるように,簡潔な直線的フォルムによる構成と片側をぼかす色調,表現する対象を大胆にイメージ化するやり方などが彼の特徴である。そこではキュビスム,未来派などの造形が巧みに消化されて視覚言語となっている。彼につづくフランスの作家としてはカルリュJ.Carlu,コランP.Colin,ルポC.Loupotらがいる。一方ドイツやロシアでは,バウハウス(バイヤー,モホリ・ナギなど)や構成主義(リシツキーなど)のグループが抽象的な構成やフォトモンタージュモンタージュ)の手法によってポスターをつくった。1920年代には写真がポスター表現に導入されたことが注目される。一方ポスターがはられる環境も変わってきていた。世紀末には巨大なポスターが街角に無秩序的にはりめぐらされていたが,20年代には広告の規制がはじまり,ポスターをはる場所や方法も整理される。また自動車などの乗物が発達したため,ハイウェーなどにはられるポスターは,遠くからでもよく見えるように,単純明快なデザインが工夫されるようになった。書体もアール・ヌーボーの曲がりくねったものから,20世紀に入ると簡潔で見やすい字となった。30年代以後の傾向としては,写真的表現の多用,シュルレアリスム風の意表をつくイメージ,漫画的な手法などが見られること,ことばと絵(イラストレーション)が複雑に組み合わせられるようになりコピー(広告文)の役割が大きくなったことなどがあげられる。今日では,テレビをはじめとする新しい広告メディアがあらわれ,ポスターは宣伝媒体としてかつてほどの独占的な位置を有してはいないが,逆にポスター独自の表現がさぐられているといえよう。サビニャック,フランソアA.François,フォロンJ.M.Folon,カスティリオーニL.Castiglioniなどの現代作家は,それぞれに,消費社会においてポスターに課された課題にこたえようとしている。

日本では浮世絵版画の系統をひく広告画の流れがある。明治期になるとリトグラフの技法が入り,明治30年代すなわち1900年前後からアール・ヌーボーの影響があらわれ,日本にも近代的なポスターが誕生する。橋口五葉,杉浦非水(1876-1965)などがアール・ヌーボー風のポスターを描き,グラフィック・デザインの新しい歴史を切り開く。1920年代に入ると村山知義,柳瀬正夢の構成主義的なポスターや山名文夫(あやお)(1897-1980),河野鷹思(こうのたかし)(1906-99)などのモダニズム系のポスターが目だつようになる。30年代に入ると,名取洋之助を中心として結成された〈日本工房〉がドイツの写真やデザインをとり入れてグラフィック・デザインを試み,第2次大戦後の日本におけるモダン・デザインの一つの起点となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポスター」の意味・わかりやすい解説

ポスター
ぽすたー
poster 英語
affiche フランス語
Plakat ドイツ語

広報および広告を目的として掲出される紙片で、所期の目的を達するため、絵や写真や文字などによってデザインし、多くの公衆の視知覚に訴えるもの。日本においては、宣伝用のビラを張り出すことが、すでに江戸時代から行われていた。今日ポスターといえば、公衆の目につきやすい場所に掲示される比較的大形の印刷物をさし、これはグラフィック・デザインの重要な分野となっている。

 紙片を柱や壁に張り出すこと(post)がポスターの名称の始まりであるが、現代ではポスター掲出の様態は、きわめて多岐にわたっている。日本では街頭のポスター掲示板はほとんどみられないが、ヨーロッパにおいてはポスター掲示板やポスター貼付(ちょうふ)用広告塔が設定されているし、工事現場の仮塀が公許のもとに掲出スペースとして利用されてもいる。自動車交通の発達しているアメリカなどでは、「24シート・ポスター」のような、複数の大形印刷物を掲示板に張り合わせて巨大な1個のポスターをつくることも行われている。日本では、駅張りポスター、車内吊(づ)り(中(なか)吊り)ポスター、額面ポスターなどの交通広告の場が、ポスターのおもな活用の場となっている。

 ポスターの寸法はさまざまであり、B全判(B列1番、728×1030ミリメートル)、B列2番(515×728ミリメートル)、B列3番(364×515ミリメートル)、A全判(A列1番、594×841ミリメートル)などがある。駅張りポスターはB全判が多用され、車内吊りポスターはB列3番の横位置使用を基本とする。近年ではB倍判(B全判の2倍)のものもみられる。また日本においても、紙片を張り合わせた大きなポスターが多く見受けられるようになってきた。

[武井邦彦]

ポスターの歴史

ビラのたぐいの手書きのものまで含めれば、歴史的には古代国家の民衆に対する告示にまでさかのぼることができるが、大量印刷を前提としたポスター発展の引き金となったのは、ゼーネフェルダーによる石版印刷術の発明(1798)である。石版印刷は、その後種々の改良を経て、色彩を駆使した多様な表現、印刷時間の短縮、多数枚葉の印刷、印刷費の低廉化などを成し遂げ、ポスター・デザインに対して肥沃(ひよく)な土壌を提供することとなった。

 明確なデザイン意識を伴ったポスターが開花するのは1870年ころのフランスにおいてで、「ポスターの父」とよばれるシェレが登場し、石版多色刷りによる大衆絵画ともいうべきポスターを制作、躍動する色彩がパリの街頭を飾った。そして1890年代には、スタンラン、ミュシャ、ロートレック、ボナールらが、それぞれ独自の表現技術を華麗に展開。とくにロートレックは、大胆な構図と卓抜な描線とによって優れた作品を多数残している。同時代のイギリスではダドリー・ハーディDudley Hardy(1867―1922)、ベガスタッフ兄弟(ウィリアム・ニコルソンWilliam Nicholson(1872―1949)とジェームズ・プライドJames Pryde(1866―1941)の共作ペンネーム)、ビアズリーらが活躍した。しかし、これらフランス、イギリスのポスター作家の表現傾向は、絵画性あるいは装飾性をまだ多分に含むものであった。

 20世紀に入ると、工業活動の成熟とそれに伴う商業活動の発展により、ポスターは宣伝広告のための媒体として新鮮な威力を発揮し始める。ポスターは絵画であることをやめ、近代のデザインとしての合理性を目ざすことになった。写真術の展開と、その成果を印刷物に援用するための写真製版(網点製版)技術の発展とが、ポスター・デザインの領域に新しい表現力を提供することになった。

 1920年代のフランスでは、コラン、カルリュJean Carlu(1900―1997)、カッサンドルらが活躍するが、なかんずくカッサンドルは、力動感に満ち明快な印象を与える作風により、とくに名高い。彼の作品が日本のグラフィック・デザイナーに与えた影響は少なからぬものがある。さらに、アメリカ人であるがロンドン地下鉄のためのポスターによって喝采(かっさい)を博したコーファーEdward McKnight Kauffer(1891―1954)、構成主義の手法を踏まえたリシツキー、バウハウスの理念を体現したモホリ・ナギやハーバート・バイヤーHerbert Bayer(1900―1985)、タイポグラフィの真価を顕現したヤン・チヒョルトJan Tschichold(1902―1974)、先鋭な写真映像を駆使したハーバート・マターHerbert Matter(1907―1984)などの俊秀が、続々と現れた。第二次世界大戦中には、イギリスのエイブラム・ゲイムズAbram Games(1914―1996)が軍の協力者として才腕を発揮している。

 戦後になると、ベン・シャーン、サビニャック、マックス・ビル、エルニ、ピントーリGiovanni Pintori(1912―1999)、ミューラー・ブロックマンJosef Müller-Brockmann(1914―1996)、ポール・ランドPaul Rand(1914―1996)、ロイピンHerbert Leupin(1916―1999)、ルバリンHerb Lubalin(1918―1981)、ソウル・バスSaul Bass(1920―1996)、ヤン・レニツァJan Lenica(1928―2001)、カール・ゲルストナーKarl Gerstner(1930―2017)らの活躍が顕著であり、新鮮で健康な血がポスター・デザインの歴史に注ぎ込まれた。

 日本においては、1910年代の橋口五葉(ごよう)、和田三造、北野恒富(つねとみ)(1880―1947)、杉浦非水(ひすい)、片岡敏郎(としろう)(1882―1945)らが、ポスター・デザインの揺籃(ようらん)期を支えた。その後、大正から昭和にかけては、多田北烏(ほくう)(1889―1948)、山名文夫(あやお)(1897―1980)、吉田謙吉、河野鷹思(こうのたかし)(1906―1999)、奥山儀八郎(1907―1981)らが、それぞれ独自の表現技術を展開させている。しかし、日本において本格的なポスター・デザインが進発するのは、第二次世界大戦後の1950年代である。1955年(昭和30)開催の「グラフィック'55展」はこれを象徴するイベントで、同展の出品者は伊藤憲治(けんじ)(1915―2001)、大橋正(ただし)(1916―1998)、亀倉雄策(かめくらゆうさく)、河野鷹思、早川良雄(1917―2009)、原弘(ひろむ)、山城(やましろ)隆一(1920―1997)、これにアメリカのランドが招待作家として加わった。

 近年、宣伝・広告媒体としてのポスターは、テレビや新聞雑誌広告などに比して、衰退ぎみであるとの評価もなされている。しかし、表現形式(色彩や大きさ)、掲出枚数、掲出地域、掲出期間などを任意に設定できるという自由さは、現代においても十分に魅力的である。豊麗な色彩表現と大面積の迫力は、他の広告媒体に例をみない特性であり、他媒体の広告メッセージと補完しあうことにより、さらには相乗効果を目ざすことにより、イメージを深化・拡大することが可能である。ポスターがビジュアル・デザインにおける中核としての地位を失うことは、今後ともないであろう。

[武井邦彦]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポスター」の意味・わかりやすい解説

ポスター
poster

伝達すべき内容を一定の紙面や布地にひと目でわかるように効果的に表現する宣伝広告媒体。名称は柱を意味するポストに由来し,最初,柱にはって表示したことに始まる。15世紀中葉の印刷技術の普及とともに一般化したが,特に多色刷りが可能となった 19世紀末から急速に発達した。1867年にフランスのジュール・シェレが石版技術を応用してサラ・ベルナールの芝居のポスターを制作,次いでアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックがポスター画家として名を上げ,イギリスのオーブリー・V.ビアズリーが優雅な描線で世紀末を表現した。日本でヨーロッパと同様のポスターが確立したのは 1920年代以降である。1930年代からはオフセット印刷の改良により,写真を使用したものが多く用いられ,旅行業者や宣伝広告業の発展と相まって,ポスター全盛時代にいたった。また,アートディレクターをはじめとする多くの人たちが 1枚のポスター制作に関与するシステムが一般化するほど重要視され,洗練されてきた。さらに,1950~60年のポップ・アートが広告を環境の一部として作品に取り入れたことなどから,広告ポスターが時代感覚を表す絵画として,一種の美術的価値をもつようになった。(→広告

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百科事典マイペディア 「ポスター」の意味・わかりやすい解説

ポスター

視覚に訴える宣伝媒体の一つ。経済の発達による商品宣伝の必要と,石版印刷の発明など印刷技術の進歩により,18世紀後半に近代的なポスターが誕生。ロートレックミュシャらによってアール・ヌーボー様式のポスターが制作され,続くアール・デコ様式ではカッサンドルが活躍し,独自の表現として発展した。また第1次大戦では戦時宣伝用に盛んに利用され,媒体価値を確定。現代ではテレビや新聞の急激な発達により宣伝媒体としての限界を問われているが,反面,多様なデザイン表現が試みられている。

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世界大百科事典(旧版)内のポスターの言及

【デザイン】より

…印刷物ではモリスによるケルムスコット・プレス(1891設立)のタイポグラフィーが大きな影響力をもったが,それが機械生産と結びついて20世紀ドイツで新しい美学的(機能的)水準をひらく。またポスターは石版の発達と結びついて1860‐70年代に新しい都市の〈絵画〉を形成しはじめ,世紀末のアール・ヌーボーはポスターの黄金期をつくりだした。これらのグラフィック・デザインが近代デザインの中でもつ意義は,単に視覚表現の固有の領域の開拓という点だけではなかった。…

※「ポスター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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