地方民会(読み)ちほうみんかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「地方民会」の意味・わかりやすい解説

地方民会
ちほうみんかい

1878年(明治11)の三新法(さんしんぽう)制定によって地方議会が開設される以前に、72年ごろから各地方官によって地方行政を円滑に行うために、民情諮問機関として官選の区戸長を構成者とする府県会、大小区会、町村会が設置された。これらを総称して地方民会という。自由民権運動が盛んになるにつれて区戸長を公選にし、公選民会とする地方が現れた。神奈川、千葉、山形、置賜(おきたま)(山形県)、三重、岐阜、滋賀、鳥取、兵庫、高知、愛媛、名東(みょうどう)(徳島県)の諸県がそうである。公選民会開設の要求はしだいに強くなり、75年7月政府が召集した第1回地方官会議で地方民会開設是非についての議題が見送られようとするや、傍聴に詰めかけていた島根酒田(さかた)(山形県)、岡山、岐阜、千葉、熊谷(くまがや)、磐前(いわさき)(福島県)、名東、高知、広島、足柄(あしがら)(神奈川・静岡県)、筑摩(ちくま)(長野・岐阜県)、栃木の諸県の代表は一堂に会し、公選民会の開設こそ国家憲法の確立と民権の振起であるという上書を元老院に提出した。しかし公選民会は葬られ官選民会が決定された。

後藤 靖]

『尾佐竹猛著『日本憲政史大綱 上』(1980・宗高書房)』『大石嘉一郎著『日本地方財行政史序説』(1961・御茶の水書房)』『大島太郎著『日本地方行財政史序説』(1968・未来社)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「地方民会」の解説

地方民会
ちほうみんかい

民会とも。明治初期の開明的地方議会。法令による規定がなされる以前の府県会・大小区会・町村会の総称。1872年(明治5)頃から民情把握のため区戸長会が開かれ始め,73年以降各地で県会・区会・町村会が公選議員によって構成された。75年の第1回地方官会議では区戸長会の設置が議決されたが,その後民権運動の高揚を背景に公選民会設置の動きがみられ,78年府県会規則郡区町村編制法の制定により,府県会・町村会にとってかわられた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「地方民会」の解説

地方民会
ちほうみんかい

明治初年の府県会・大小区会・町村会の総称
豪農層の政治的進出を背景に,1872年ころから開明的地方官のもとで各地に開設。地方人民の民心の鎮撫と行政事務の円滑化をはかることを目的としていた。最初は地方官の民情諮問機関であったが,自由民権運動の発展に支えられて公選議員による公議機関に発展し,府県会規則の制定を促した。

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世界大百科事典(旧版)内の地方民会の言及

【国会開設請願運動】より

…この間に提出された建白書・請願書で現在知られているのは約120件,これに参加した者は26万6000人を超えているが,件数の60%以上が1880年に集中していて,請願運動の最盛期がここにあったことを示している。運動は初め板垣らの組織した立志社のような士族結社の運動としておこり,連合組織としての愛国社(1875年結成,まもなく解体して78年再興)を生んだが,やがて各地で豪農・豪商を中心とする勢力が地方民会を要求し,府県会議員として登場してこの運動をおしひろげ,これに教員・新聞記者・代言人などの知識人や青年たちが加わって,広範な国民的運動となった。80年3月の愛国社第4回大会には,従来加盟の各結社のほかに,多数の全国有志が参加して国会期成同盟を発足させ,国会開設の上願書を提出した。…

※「地方民会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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