寺井玄渓(読み)てらい・げんけい

朝日日本歴史人物事典 「寺井玄渓」の解説

寺井玄渓

没年:正徳1.2.20(1711.4.7)
生年:元和8(1622)
江戸前期の医者。号は桐庵。三河国(愛知県)岡崎藩士の家に生まれ,藩主本多政利の転封で大和郡山から播磨国明石などと移ったが、天和2(1682)年改易によって浪人となり,子の玄達が住む京都に出て開業した。晩年に播磨国赤穂藩に迎えられて筆頭藩医となり江戸住となったが,元禄14(1701)年の藩主浅野長矩による江戸城中刃傷事件で再び野に下った。翌年赤穂浪士による吉良邸討ち入りの計画にも加わったが,大石良雄から同行を止められ,子の玄達を東下させて,同志の連絡と病気治療に当たらせた。討ち入り後は大石の委託に応えて遺族の面倒を見て回り,遺児赦免運動に奔走した。京都で没し,東山長楽寺に葬られた。<参考文献>木下勤「赤穂義士を支援した元赤穂藩医寺井玄渓」(『日本医史学雑誌』33巻1号)

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺井玄渓」の解説

寺井玄渓 てらい-げんけい

1622-1711 江戸時代前期-中期医師
元和(げんな)8年生まれ。大和(奈良県)の人。元禄(げんろく)13年播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩の医師となる。藩主浅野長矩(ながのり)の江戸城刃傷(にんじょう)事件のあと,京都で吉良(きら)邸討ち入り計画に参加し,息子の玄達を江戸に派遣して浪士の病気治療にあたらせた。宝永8年2月20日死去。90歳。号は桐庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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