岩橋英遠(読み)いわはしえいえん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩橋英遠」の意味・わかりやすい解説

岩橋英遠
いわはしえいえん

[生]1903.1.12. 北海道
[没]1999.7.12. 神奈川,相模原
日本画家。本名は英遠 (ひでとお) 。 1917年北辰尋常高等小学校卒業。その後上京して山内多門門下で学ぶ。 38年歴程美術協会の結成に参画し,福田豊四郎丸木位里などとともに新しい日本画の創造を目指した。 45年からは安田靫彦師事し,50年には『明治』を院展に出品して日本美術院賞 (大観賞) を受賞。 54年『庭石 (雪) (雨) (水) (月) 』で芸能選奨文部大臣賞,59年『蝕』で文部大臣賞を受賞。 65年東京芸術大学助教授,68年同教授に就任するかたわら,67年からは法隆寺金堂壁画再現模写に参画した。 72年『鳴門』で日本芸術院賞を受賞。 81年日本芸術院会員。 89年文化功労者。 94年文化勲章を受章。ほかにも代表作『彩雲』 (1979) ,『残照』 (1981) ,『道産子追憶之巻』 (78~82) など,大自然をテーマに前衛的な画風を取入れた風景画を数多く発表している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩橋英遠」の意味・わかりやすい解説

岩橋英遠
いわはしえいえん
(1903―1999)

日本画家。北海道出身。本名英遠(ひでとお)。1924年(大正13)山内多門に師事。34年(昭和9)院展に初入選、37年に日本美術院院友に推挙された。45年(昭和20)に改めて安田靫彦(ゆきひこ)の門に入り、50年、51年と続けて日本美術院賞を受賞、53年同人に推された。自然の壮大な景観現象を幻想的に表出する画風は独特のもので、59年の院展で文部大臣賞を受けた『蝕(しょく)』をはじめ『神々とファラオ』『暎(えい)』『彩雲』『虹輪』などがよく知られている。58年から70年まで東京芸術大学で教鞭(きょうべん)をとり、72年日本芸術院賞を受賞した。東京芸術大学名誉教授。94年(平成6)文化勲章受章。

原田 実]

『桑原住雄著『現代日本画全集9 岩橋英遠』(1982・集英社)』『河北倫明監『岩橋英遠画集』(1993・求龍堂)』

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百科事典マイペディア 「岩橋英遠」の意味・わかりやすい解説

岩橋英遠【いわばしえいえん】

日本画家。北海道生れ。本名英遠(ひでとお)。初め油絵を描いたが日本画に転じ,1924年山内多門に,1945年から安田靫彦に師事。吉岡堅二,福田豊四郎らの日本画研究会に入り,のち日本美術院所属。《眠》で院賞と大観賞,《蝕》で文部大臣賞を受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩橋英遠」の解説

岩橋英遠 いわはし-えいえん

1903-1999 昭和-平成時代の日本画家。
明治36年1月12日生まれ。昭和9年院展初入選。13年歴程美術協会を結成する。20年安田靫彦(ゆきひこ)に入門。34年院展で「蝕(しょく)」が文部大臣賞。47年「鳴門」で芸術院賞をうけた。43年東京芸大教授。56年芸術院会員。平成6年文化勲章。平成11年7月12日死去。96歳。北海道出身。本名は英遠(ひでとお)。作品に「庭石」「彩雲」など。

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