日本歴史地名大系 「川俣」の解説
川俣
かわまた
江戸時代の
江戸時代、当地は相馬藩・二本松藩・福島藩に囲まれ、それぞれに街道が通じる交通の要衝であった。元禄―宝永(一六八八―一七一一)頃の小手郷村々書上帳(高橋家文書)には「川又と申儀ハ飯坂、鶴田、小綱木、五十沢、此四ケ村相名に御座候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代の
江戸時代、当地は相馬藩・二本松藩・福島藩に囲まれ、それぞれに街道が通じる交通の要衝であった。元禄―宝永(一六八八―一七一一)頃の小手郷村々書上帳(高橋家文書)には「川又と申儀ハ飯坂、鶴田、小綱木、五十沢、此四ケ村相名に御座候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福島県北東部,伊達郡の町。人口1万5569(2010)。福島市の南東,阿武隈高地西斜面に位置する。周囲を山に囲まれ,耕地は山間の傾斜地に多く,標高500mをこえるものも少なくない。中心の川俣は江戸時代に幕府の代官所が置かれた地で,古くから養蚕,絹織物の産地として栄え,生糸や羽二重をあつかう2・7の六斎市が立っていた。明治以降も川俣紡織場,川俣製糸会社が設立され,生糸を扱う商社もでき,海外にも輸出されたが,第2次大戦後,化学繊維の登場により生産は激減した。農業は近年,米作,養蚕から畜産や葉タバコなどの工芸作物の生産に比重を移しており,特に農畜産物の加工業が成功している。国鉄川俣線が通じていたが,1972年廃止された。
執筆者:佐藤 裕治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…周囲を山に囲まれ,耕地は山間の傾斜地に多く,標高500mをこえるものも少なくない。中心の川俣は江戸時代に幕府の代官所が置かれた地で,古くから養蚕,絹織物の産地として栄え,生糸や羽二重をあつかう2・7の六斎市が立っていた。明治以降も川俣紡織場,川俣製糸会社が設立され,生糸を扱う商社もでき,海外にも輸出されたが,第2次大戦後,化学繊維の登場により生産は激減した。…
※「川俣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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