斎部氏(読み)いんべうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎部氏」の意味・わかりやすい解説

斎部氏
いんべうじ

古代の有力氏族の一つ。古くは忌部と記し、延暦(えんりゃく)年間(782~806)より許されて斎部と記すようになったが、「忌」「斎」はともに神を祀(まつ)るための斎戒(さいかい)の意。日本神話で、天孫降臨に中臣(なかとみ)氏の祖天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに随従した天太玉命(あめのふとだまのみこと)の子孫といい、中臣氏とともに祭祀(さいし)のことをつかさどり、のち一族が、伊勢(いせ)、安房(あわ)、出雲(いずも)、紀伊(きい)、阿波(あわ)、讃岐(さぬき)、筑紫(つくし)などに発展、神に奉る供物を調えた。しかし、大化改新(645)以降、中臣一族が政治上の力をもつとともに、神祀(じんぎ)祭祀上の地位でも優位を示し、斎部氏はしだいに後退した。ために、807年(大同2)斎部広成(ひろなり)は『古語拾遺(こごしゅうい)』を撰(せん)し、その不当を訴えたが、さらに衰えていった。徳島市の忌部神社、千葉県館山(たてやま)市の安房神社はともにその祖神を祀る。

[鎌田純一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斎部氏」の意味・わかりやすい解説

斎部氏
いんべうじ

古くは「忌部氏」と書いた。アメノフトダマノミコトの子孫という。中臣 (なかとみ) 氏が祝詞をよむのに対し,斎部氏は奉幣を司って大和朝廷の祭祀にあたった。9世紀初頭,地位,職掌をめぐって中臣氏と争い,大同2 (807) 年広成が『古語拾遺』を著わして両氏の対等を論じ,認められたが,結局,衰運をたどった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「斎部氏」の解説

斎部氏
いんべうじ

古代,大和政権の神事祭祀をつかさどった豪族
「忌部氏」とも書く。中臣氏と並ぶ勢力をもっていたが,8世紀後半以後,中臣氏におされ,朝廷での地位を低下させた。

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世界大百科事典(旧版)内の斎部氏の言及

【安房神社】より

…本社(上宮)に天太玉(あめのふとだま)命を主神とし,妃の天比理刀咩(あめのひりとめ)命と斎部(いんべ)五部神を配祀し,摂社(下宮)に天富(あめのとみ)命をまつる。《古語拾遺》に,神武天皇東征ののち,すでに阿波国に入りその地を開拓していた斎部氏(忌部氏)の天富命が,さらに阿波国斎部をひきいて東国に至り,安房郡を開拓し,そこに祖神天太玉命をまつったのが本社の創建としるす。859年(貞観1)正三位に叙され,延喜の制で名神大社,のち安房国の一宮とされる。…

※「斎部氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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