忌部氏(読み)いんべうじ

百科事典マイペディアの解説

忌部氏【いんべうじ】

大和朝廷の部の一つ。斎部とも書く。684年宿禰(すくね)になり,中臣(なかとみ)氏とともに朝廷の祭祀(さいし)をつかさどり,阿波(あわ),讃岐(さぬき),紀伊,安房(あわ)等に部民をもったが,次第に藤原氏(中臣氏)に圧倒された。→斎部広成
→関連項目古語拾遺

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世界大百科事典 第2版の解説

いんべうじ【忌部氏】

斎部とも書く。古代の宮廷祭祀において,中臣(なかとみ)氏と並んで重要な地位を占めた氏。中央の忌部氏の本拠は,現在の奈良県橿原市忌部町付近にあり,太玉命(ふとたまのみこと)神社(現,天太玉命神社)をまつっていた。この神社の祭神は,太玉命のほかに,大宮売(おおみやのめ)命と豊磐間戸(とよいわまど)神,櫛磐間戸(くしいわまど)神の計4座であった。祝詞によれば,これらの神々は,天皇の長寿と御門を守護する神々として現れ,忌部氏はその幣帛(へいはく)を神主,祝(はふり)にわかつことをつかさどっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忌部氏
いんべうじ

斎部氏(いんべし)とも記す。中臣(なかとみ)氏とともに朝廷の祭祀(さいし)を担当した氏族名。天太玉命(あめのふとたまのみこと)を祖とし、本貫は大和国高市(たけち)郡(現、奈良県橿原市忌部町付近)で、品部(しなべ)としての忌部を管掌した。阿波・紀伊国ほかにも分布する。カバネ(姓)は古くは首(おびと)で、680年(天武天皇9)連(むらじ)を、684年宿禰(すくね)を授けられ、803年(延暦22)斎部氏と改めた。御殿の造営や祭祀具の調整、また班幣(はんぺい)・神璽(しんじ)(鏡・剣)奉上などの実務、大殿祭(おおとのほがい)・御門祭(みかどほがい)の祝詞(のりと)(『延喜式(えんぎしき)』所収)申上を行った。奈良時代、中臣氏とともに伊勢神宮への奉幣使(ほうへいし)に任命されたが、中臣氏の権勢に押され任命されなくなった。その間の経緯は斎部広成(いんべのひろなり)の『古語拾遺(こごしゅうい)』に詳しい。[西宮秀紀]
『上田正昭著『日本古代国家論究』(1968・塙書房) ▽井上辰雄著『古代王権と宗教的部民』(1980・柏書房)』

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世界大百科事典内の忌部氏の言及

【安房神社】より

…本社(上宮)に天太玉(あめのふとだま)命を主神とし,妃の天比理刀咩(あめのひりとめ)命と斎部(いんべ)五部神を配祀し,摂社(下宮)に天富(あめのとみ)命をまつる。《古語拾遺》に,神武天皇東征ののち,すでに阿波国に入りその地を開拓していた斎部氏(忌部氏)の天富命が,さらに阿波国斎部をひきいて東国に至り,安房郡を開拓し,そこに祖神天太玉命をまつったのが本社の創建としるす。859年(貞観1)正三位に叙され,延喜の制で名神大社,のち安房国の一宮とされる。…

【古語拾遺】より

…807年(大同2)2月13日完成。忌部(斎部)氏は大和朝廷時代には中臣氏と並んで祭祀を担当していたが,大化改新後は中臣氏から藤原氏が出て政界で有力になると,中臣氏も奈良時代には祭祀関係の要職を独占するようになった。これを歎いた広成は,806年8月に幣帛使の任命をめぐって中臣氏と争い,平城天皇から下問のあったのを機会に,一族の長老として自氏の伝承をまとめ,天皇に献上したのが本書である。…

【太玉命】より

…玉は祭具の代表としての語である。諸国の忌部(いんべ)が作る祭具を使用して朝廷の祭りを行う忌部氏の祖先神。天の岩屋戸に隠れた天照大神(あまてらすおおかみ)を招き出すために,勾玉(まがたま),鏡,和幣(にきて)などを取り持って祭りを行って成功したという。…

※「忌部氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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