東金(読み)トウガネ

デジタル大辞泉 「東金」の意味・読み・例文・類語

とうがね【東金】

千葉県中部の市。九十九里平野中心にあり、もと酒井氏城下町。人口6.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「東金」の意味・読み・例文・類語

とうがね【東金】

千葉県中部の地名。九十九里平野の中西部にある。中世は酒井氏の居城の鴇根(ときがね)城の城下町、近世海産物・農林産物の集散地で、東金代官所がおかれ、徳川家康秀忠・家光の鷹狩宿舎東金御殿があった。昭和二九年(一九五四市制

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日本歴史地名大系 「東金」の解説

東金
とうがね

山辺北やまべきた郡内に所在したと想定される戦国期から史料にみえる地名。天文一八年(一五四九)二月銘のある最福さいふく寺旧蔵鰐口に「八幡宮鰐口之事 東金池袋嶺根寺松戸平四郎寄進」とある。天正二年(一五七四)と推定される九月一四日の芳春院周興書状(由良文書)には「土気・東金本納被押詰、郷村無残所候」とある。小田原北条氏が関宿せきやど(現関宿町)の簗田氏および上杉輝虎(謙信)・里見義尭らと合戦を行うなかで、里見氏と通じていた土気酒井・東金酒井両氏が北条氏の攻撃を受けている。同年閏一一月に関宿城が陥落すると、北条氏の勢力は一気に両総に侵入し、翌三年八月一九日には「東金へ押詰、土気・東金両地郷村悉打散候」と酒井氏領へ猛攻をかけている(同年八月二八日「北条氏政書状写」清水文書)

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改訂新版 世界大百科事典 「東金」の意味・わかりやすい解説

東金[市] (とうがね)

千葉県中部の市。市域は九十九里平野と両総台地にまたがる。1954年市制。人口6万1751(2010)。中心の東金は戦国時代酒井氏が鴇ヶ峰(ときがみね)に東金城を築き,城下町を建設してから発展した。江戸時代幕府の東金代官所が置かれ,東金御殿もあった。御殿は徳川家康が鷹狩の際の宿舎としたもので,秀忠,家光も利用したが,寛文年間(1661-73)ころ取り壊されたという。市街は千葉に至る東金街道の宿場町であり,付近で盛んな上総木綿の問屋制家内工業の中心地でもあった。大正~昭和初期は養蚕が盛んで,繭の集荷地としてにぎわった。1911年東金線が総武本線,房総線(外房線)と通じ,バス交通の中心地となって商圏を拡大したが,近年は千葉市の商圏にくりこまれて商業が停滞,従来の街村型商店街を改造して商圏の回復を図っている。また65年に国営両総用水が完成,水田の近代化が進み,果樹,野菜,植木などの栽培が盛んになった。〈七里四方は日蓮宗の寺院のみ〉といわれる七里法華の中心であり,日蓮宗の本漸寺,西福寺などの名刹が多い。桜の名所八鶴(はつかく)湖,江戸時代に貯水池として造られた雄蛇ヶ池などがあり,九十九里県立自然公園の一部である。
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