松平直政(読み)まつだいら・なおまさ

朝日日本歴史人物事典 「松平直政」の解説

松平直政

没年:寛文6.2.3(1666.3.8)
生年:慶長6.8.5(1601.9.1)
江戸前期の越前大野,信濃松本,出雲松江藩主。出羽守徳川家康の2男結城秀康の3男として,近江伊香郡中河内(滋賀県余呉町)の宿で生まれる。慶長19(1614)年大坂冬の陣に,兄の忠直制止を振り切って出陣,真田幸村の籠もる出城の攻撃に参加。翌年の夏の陣にも活躍。寛永1(1624)年大野5万石。10年松本7万石,15年松江18万6000石と転封,隠岐を預けられる。藩政の確立に尽力する一方,隠岐の後鳥羽上皇山陵を修復,出雲大社を造営するなどした。<参考文献>斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一校訂『徳川諸家系譜』4,新井白石『藩翰譜』,『島根県史

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平直政」の解説

松平直政 まつだいら-なおまさ

1601-1666 江戸時代前期の大名
慶長6年8月5日生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)の3男。徳川家康の孫。大坂冬の陣に14歳で初陣。元和(げんな)2年兄松平忠直(ただなお)から越前(えちぜん)木本(このもと)に1万石をあたえられる。上総(かずさ)姉崎(あねがさき),越前大野,信濃(しなの)松本をへて,寛永15年出雲(いずも)松江藩主松平(越前)家初代となる。18万6000石。国務の要領6ヵ条で藩政の基本をしめした。寛文6年2月3日死去。66歳。

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367日誕生日大事典 「松平直政」の解説

松平直政 (まつだいらなおまさ)

生年月日:1601年8月5日
江戸時代前期の大名
1666年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平直政の言及

【出雲国】より

…吉晴は松江に築城して,中世以来の広瀬富田城より移り,松江に城下町をつくった。33年(寛永10)3代33年つづいた堀尾家は,嗣子がなく御家断絶となり,代わって京極忠高が若狭国小浜から転封してきたが断絶し,38年信濃国松本から松平直政を迎える。直政は出雲国で18万6000石のほかに隠岐国1万8000石も預けられた。…

【大野[市]】より

…【松原 信之】 近世には城下町であり,福井から郡上(ぐじよう)に至る美濃街道の要地であった。1600年(慶長5)入封した結城秀康が支城とし,重臣土屋昌春を3万8000石で配置,24年(寛永1)秀康の三男松平直政が5万石を賜って大野藩が成立,82年土井利房が4万石で入国して定着した。正保郷帳では五つの枝郷ともで5087石余。…

【松江藩】より

…34年(寛永11)断絶した堀尾氏に代わって京極忠高が入封,出雲・隠岐両国に加えて石見銀山の大森代官所支配地5万石も支配する。次いで京極氏が断絶して,38年結城秀康の三男松平直政が藩主となった。出雲国18万6000石で,隠岐国1万8000石は幕府の預地である。…

※「松平直政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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