渡辺霞亭(読み)ワタナベカテイ

デジタル大辞泉 「渡辺霞亭」の意味・読み・例文・類語

わたなべ‐かてい【渡辺霞亭】

[1864~1926]小説家愛知の生まれ。本名、勝。別号碧瑠璃園へきるりえん黒法師歴史小説家庭小説人気を博した。江戸文学の収集家としても知られる。作「大石内蔵之助」「渦巻」。

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精選版 日本国語大辞典 「渡辺霞亭」の意味・読み・例文・類語

わたなべ‐かてい【渡辺霞亭】

小説家、新聞記者尾張国名古屋の人。本名勝。別号朝霞・碧瑠璃園・黒法師など。岐阜日日新聞、絵入自由新聞などを経て大阪朝日新聞社入社。家庭小説で好評を得、歴史小説も執筆多作であった。また、江戸文学書の収集家としても知られた。著「大石内蔵助」「渦巻」など。元治元~大正一五年(一八六四‐一九二六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「渡辺霞亭」の意味・わかりやすい解説

渡辺霞亭
わたなべかてい
(1864―1926)

小説家、劇作家。名古屋に生まれる。本名勝(まさる)。渡辺家は尾州(びしゅう)藩家老の家柄で、青松葉事件(「青松葉」とは渡辺家の異名幕末、前藩士徳川慶勝(よしかつ)が藩論を統一するために、渡辺らの親幕派を斬首(ざんしゅ)、家名断絶等の非常の刑で葬り去った事件)に連繋(れんけい)し没落。1890年(明治23)大阪朝日新聞に入社。翌年西村天囚(てんしゅう)らと『なにはがた』を創刊筆名を自在に駆使し、歴史、家庭小説の流行作家となる。その作は勧善懲悪的傾向が強い。碧瑠璃園(へきるりえん)、緑園(りょくえん)の号で『渡辺崋山(かざん)』(1889)、『後藤又兵衛』(1890)、『後の後藤又兵衛』(1908)などの歴史小説を執筆。家庭小説『渦巻(うずまき)』全四巻(1913~14)は、家督相続争いを「あたらしいお家騒動物」(千葉亀雄)に仕上げた話題作である。霞亭はまた、江戸時代の小説類の収集家であり、この旧蔵書の一部(和書1851冊)が東京大学附属図書館に「霞亭文庫」として架蔵されている。

[山崎一穎]

『岡保生著『日本近代文学外史 近代文学の異端者』(1976・角川書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「渡辺霞亭」の解説

渡辺霞亭

没年:昭和1.4.7(1926)
生年:元治1.11.20(1864.12.18)
明治大正時代の小説家。本名は勝。別号に碧瑠璃園,緑園,黒法師,黒頭巾,無名氏,春帆楼主人,哉乎翁,朝霞隠士など。名古屋生まれ。尾張藩士源吾,たけの息子。名古屋の好生館に学び,明治14(1881)年『岐阜日日新聞』文芸欄主任として入社,同19年名古屋の『金城新報』編集長,20年に上京して『燈新聞』に転じ,21年,同紙が大阪朝日新聞社に買収され『東京朝日新聞』になると,『絵入自由新聞』に移るが,ほどなく復帰。23年には『大阪朝日新聞』に招かれ,以来関西文壇の重鎮となる。通俗的長編にたけ,40年「大石内蔵助」,大正2~3(1913~4)年「渦巻」などを書く。また本吉欠伸らと24年,雑誌『なにはがた』を創刊し,同誌に作品を寄せて関西文学の振興に力を尽くした。

(佐伯順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺霞亭」の解説

渡辺霞亭 わたなべ-かてい

1864-1926 明治-大正時代の小説家。
元治(げんじ)元年11月20日生まれ。岐阜日日新聞の記者をへて,東京朝日新聞,大阪朝日新聞につとめ,歴史小説や家庭小説を発表。西村天囚らとともに雑誌「なにはがた」を創刊し関西文学の振興につくす。劇評家,蔵書家としても知られた。大正15年4月7日死去。63歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本名は勝。別号に碧瑠璃園(へきるりえん),緑園,黒法師など。代表作に「想夫憐」「渦巻」。

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世界大百科事典(旧版)内の渡辺霞亭の言及

【椀久末松山】より

…2幕5場。渡辺霞亭作。1906年3月大阪中座初演。…

※「渡辺霞亭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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