稲毛神社(読み)いなげじんじや

日本歴史地名大系 「稲毛神社」の解説

稲毛神社
いなげじんじや

[現在地名]川崎区宮本町

官庁街のある川崎区のほぼ中心部に位置し、東は国道一五号に面する。中世近世には山王社と号し、堀之内ほりのうち村・川崎宿・渡田わたりだ村・大島おおしま村・稲荷新田いなりしんでん村などの鎮守祭神武甕槌神。旧郷社。欽明天皇時代の創祀とも、鎌倉初期佐々木高綱が奉行して建立したとも伝える(風土記稿)。平安時代後期に開発された河崎かわさき庄の鎮守として祀られたのがその淵源であろう。

「長弁私案抄」によれば応永一一年(一四〇四)「武州河崎郷山王社」へ大般若経書写奉納の勧進が行われている。天正二〇年(一五九二)代官頭伊奈忠次による検地が行われ、社領二二石一斗八升六合が確定(同年八月「検地帳」川崎市教育委員会蔵)、慶長四年(一五九九)には朱印地二〇石が安堵された(「朱印状写」森文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲毛神社」の意味・わかりやすい解説

稲毛神社
いなげじんじゃ

神奈川県川崎市川崎区宮本町に鎮座。武甕槌神(たけみかづちのかみ)を主祭神とし、経津主(ふつぬし)神、菊理媛(くくりひめ)神、伊弉諾(いざなぎ)神、伊弉冉(いざなみ)神を配祀(はいし)する。社伝によれば、景行(けいこう)天皇東巡のおり当社に祈願して賊難を避けたという。また、欽明(きんめい)天皇は東国の動乱鎮撫(ちんぶ)のため勅願所(ちょくがんじょ)とされたという。1592年(天正20)の水帳(検地帳)には社領21石余とあり、また1599年(慶長4)徳川家康より朱印地20石を受けた。初め武甕槌神社と称したと伝え、のちに山王(さんのう)社と改称、明治初年に稲毛庄(しょう)の庄名により現社名となった。旧郷社。例祭は8月1~3日で古例の宮座式と神輿(みこし)の渡御(とぎょ)がある。

[土岐昌訓]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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