鶴田町(読み)つるだちよう

日本歴史地名大系 「鶴田町」の解説

鶴田町
つるだちよう

面積:七七・九九平方キロ

薩摩郡北部にある。東は薩摩町、南・西は宮之城みやのじよう町、北は出水いずみ市・大口市と宮之城町飛地の柊野くきのに接する。町域の東・北・北西部出水山地で、南方へはしだいに低くなっている。北部大口市境の峡谷を西流してきた川内せんだい川は鶴田ダム(大鶴湖)を経て南へ流れの向きを転じ、曲流しながら南東へ流れる。同川支流のうら川・まえ川・柳野やなぎの川・夜星やせい川などの谷川流域低地と周辺の湯田原ゆだばら京塚原きようつかばるなどのシラス台地川内川流域の盆地を形成している。国道二六七号が南端を東から南西へ通る。

町内の遺跡は従来五八ヵ所が知られていたが、平成四年(一九九二)の分布調査で新たに三二ヵ所が追加され、計九〇ヵ所を数える。旧石器時代の遺跡はこれまでに柏原の小松原かしわばるのこまつばらB遺跡の一ヵ所が知られている。縄文時代の遺跡は鶴田にある晩期田間田たまだ遺跡のほか一七遺跡が存在する。弥生時代の遺跡はこれまでのところ知られていない。古墳時代の遺跡では地下式板石積石室墓の神子こうしの湯田原古墳、柏原小松原古墳のほか、三三の遺跡が知られている。

鶴田町
つるたまち

面積:四六・一二平方キロ

津軽平野の中部に位置し、町の中央を岩木川が北流する。東部の東と南は板柳いたやなぎ町、北は五所川原市、西部の西は岩木山麓で西津軽郡森田もりた村、南は弘前市、北は西津軽郡かしわ村に接する。岩木川右岸の自然堤防沿いに国道三三九号が通り、その東を国鉄五能線が走り、陸奥鶴田駅・鶴泊つるどまり駅がある。西部南にある廻堰まわりぜき大溜池は津軽富士見つがるふじみ湖ともよばれ、湖畔に保養施設がある。

明治二二年(一八八九)の町村制施行により北津軽郡で鶴田つるだ村・六郷ろくごう村・梅沢うめざわ村が成立、西津軽郡で水元みずもと村が成立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴田町」の意味・わかりやすい解説

鶴田〔町〕
つるた

青森県西部,岩木川の中流域にある町。 1941年町制。 55年六郷 (ろくごう) ,梅沢,水元 (みずもと) の3村と合体。江戸時代初期,弘前藩によって開田された地域で,津軽米の中心産地。町域の中央部を岩木川が貫流,周辺にはリンゴ園が多い。西部にある廻堰大溜池 (まわりぜきおおためいけ) は,江戸時代から重要な農業用水池。岩木山の姿を映して「津軽富士見湖」とも呼ばれている。面積 46.43km2人口 1万2074(2020)。

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