デジタル大辞泉
「黄檗山」の意味・読み・例文・類語
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おうばく‐さん ワウバク‥【黄檗山】
[一] 中国福建省にある山。
黄檗宗の祖僧、隠元が住持した
臨済宗万福寺があった。
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黄檗山
おうばくさん
Huang-bo-shan
中国の福建省安渓県にある山。薬や染料となるキハダ(→黄蘗)を多く産するところから,この名がある。唐の貞元5(789)年,正幹禅師がここに般若堂を創建。その後,希運禅師(黄檗希運)が出て黄檗の名を有名にし,宋代には臨済宗の大道場として繁栄。元の時代に一時衰えたが,明の万暦帝から「萬福禅寺」という勅額と大蔵経全部と内帑金(ないどきん)を賜り,それによって諸堂を重建した。隠元隆琦が住んで一時盛んになったが,のち衰退した。承応3(1654)年,隠元が明末~清初の乱を避け,長崎の崇福寺住持,逸然性融らの懇請によって訪日し,山城国宇治に黄檗山と同規模の堂宇を建立,名称も同じく黄檗山萬福寺とした。
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黄檗山 (おうばくさん)
Huáng bò shān
(1)中国の福建省福清県にある禅院。寺名を万福寺という。唐代盛期に正幹が開創し,希運が出家したことで知られる。宋以後,衰亡するが,明代に再興されて,臨済禅の代表的な道場となり,江戸時代この寺の住持隠元隆琦が,日本に来て宇治に黄檗山を開くことから,日本黄檗宗の祖山となる。(2)江西省瑞州府新昌県の西部にあり,鷲峰という。希運が福州の黄檗にならって開創,宋代に盛大となるが,現状は不明。(3)京都市の南郊,宇治市五ヶ庄にある,日本黄檗宗の本山。江戸の初期,隠元隆琦が開創,中国の祖山にならって,万福寺という。構成,尊像,行持など,すべて中国明代の制を伝える。
執筆者:柳田 聖山
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