萬福寺(読み)まんぷくじ

日本歴史地名大系 「萬福寺」の解説

萬福寺
まんぷくじ

[現在地名]宇治市五ヶ庄三番割

カノしよう東部の丘陵端に位置する。山号を黄檗山といい、黄檗宗総本山で、本尊釈迦如来。境内は府指定史跡。寛文元年(一六六一)中国隠元の創建。山号寺号ともに、かつて隠元が住職を務めた中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺にちなむ。当寺の寺地には、元和九年(一六二三)に造営された後水尾天皇の生母中和門院(近衛前子)の別邸大和田おわだ御殿があったが、幕府がここに寺地を定めて収公することになったため殿は撤去された。寛文元年の着工以後、九万坪を擁した境内には相次いで伽藍が造営された。その大半は南方産の西域木(チーク材)を用いた中国様式の建造物である。山門・天王殿・大雄宝殿(本堂)・法堂が西面して一線上に連なり、その左右に鐘楼・鼓楼、禅堂・斎堂、東方丈・西方丈などがある。経費・資材の大半は寛文七年に将軍徳川家綱が寄進した白金二万両と西域木、それに大坂の貿易商長崎屋四郎右衛門(勝性印)寄進の西域木、酒井忠勝寄進の金一千両などによっている。


萬福寺
まんぷくじ

[現在地名]国富町本庄 犬熊

本庄ほんじよう川の左岸の台地上、犬熊の祝子園いぬくまのほりぞんにあり、精進料理で著名。犬熊山と号し、天台宗。比叡山延暦寺の直末寺であった。本尊は薬師如来で、開祖最澄の作と伝えるが、この木造薬師如来坐像(県指定文化財)は現在当寺の所蔵でなく、三弓さんきゆう堂に安置されている。現在の本尊の木造三尊仏は中尊・脇侍ともに国指定重要文化財。三尊ともに榧の一木造、中尊は内刳素地の阿弥陀如来坐像で、衲衣は両肩を覆い螺髪、胎内に寛喜四年(一二三二)二月の墨書銘がある。両脇侍とも同じ手法で左に観音菩薩、右に勢至菩薩が配されている。現在は新築された収蔵庫に収納され、本堂には分身の新像が安置されている。

天正一一年(一五八三)二月、島津義久の平癒祈願のため法華岳ほけだけ寺に参籠した上井覚兼は、一一日下山し宮崎城へ帰る途中、当寺に立寄っている。


萬福寺
まんぷくじ

[現在地名]大塔村大字篠原

篠原しのはら集落の西部に位置する。浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。由緒書によると、当地の人々はもと浄土宗の信徒であったが、当寺の開基円正が浄土真宗に帰依し、大永年中(一五二一―二八)に道場を設け、本願寺実如から六字名号二幅を賜ったという。慶長一三年(一六〇八)六月准如から木仏本尊を賜り一宇を創立、以後萬福寺と称したと伝える。


萬福寺
まんぷくじ

[現在地名]金山町中津原

中津原なかつはら集落の東方山の手にある。神亀山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。寺伝によれば往古は天台宗で亀像院と号し、神亀(七二四―七二九)初年越前の僧泰澄により開かれたという。天文七年(一五三八)桜洞さくらぼら(現萩原町)の城主三木直頼により臨済宗寺院として再興され、寛永年中(一六二四―四四)に寺号を萬福寺と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「萬福寺」の意味・わかりやすい解説

萬福寺
まんぷくじ

京都府宇治市にある黄檗宗の大本山寺院。承応3(1654)年に来朝した中国の禅僧隠元隆琦が,江戸幕府 4代将軍徳川家綱崇敬を得て,寛文1(1661)年に創建した。の風を模した寺域は特異なもので,三門,天王殿,大雄寶殿(だいおうほうでん。本堂),法堂(はっとう)が一直線上に並び,左右を諸堂が並ぶ。山号を黄檗山とし,代々中国から来た僧が住職を務めたが,元文5(1740)年に龍統元棟が日本人として最初の住持(第14代)となった。中国風の精進料理普茶料理で有名。

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デジタル大辞泉プラス 「萬福寺」の解説

萬福寺

京都府宇治市にある寺院。黄檗宗大本山。1661年、中国からの渡来僧・隠元が開山。伽藍建築などは中国の明朝様式を模したもので、多くが重要文化財に指定。中国風の精進料理「普茶料理」が伝わる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「萬福寺」の解説

萬福寺

(大阪府大阪市東淀川区)
私が選んだ東淀川100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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