翻訳|eye shadow
瞼(まぶた)に塗る化粧料。目の周囲に陰影(シャドー)を描く化粧法で、顔全体を立体的に見せる効果がある。起源は古代エジプト時代で、魔除(まよ)けのためとも、目の病気から守るためともいわれている。黒と緑の2色の染料が使われ、黒は粘土鉱物の一種のコリライト、緑はくじゃく石の粉末が用いられ、目の周りを彩った。この化粧法はギリシア・ローマ時代にも続き、その後、ベールで顔を隠すアラビア女性におしゃれとして受け継がれた。しかし西ヨーロッパには伝わらず、アイシャドーを塗る女性はいなかったが、18世紀ごろ初めて舞台化粧のドーランとともに使われた。一般的になるのは20世紀なかば、メーキャップのポイントが唇から目に移ったといわれる時期からで、それ以後、アイシャドーに限らず、目にアクセントを置いた化粧が注目を集めるようになった。日本での瞼の化粧は赤土化粧に始まるといわれ、魔除けとして目の周りに赤く塗ったものが埴輪(はにわ)のなかに残されている。江戸時代、目尻(めじり)に紅をはく化粧もあった。アイシャドーがわが国に輸入されたのは大正期で、アメリカのメイペリン社製のものであった。1933年(昭和8)ごろアイシャドーが国産化されたが、当時はステージ用か夜のメーキャップに使用されたにすぎなかった。
アイシャドーの原料はワセリン、ラノリンなどを混合した基礎クリームに、香料、有機色素を加え、スティック(棒)状、練り状の固形塗りのものから、最近ではペンシルタイプやパウダータイプのものが多く使用される。色もブラウン系、ブルー系、紅系やパール・ゴールド系まで幅が広い。化粧法としては、上まつげの付け根へもっとも濃く、瞼の上へいくほどぼかし、目頭から目尻までに塗り分けるのが一般的である。
[横田富佐子]
まぶたなど目のまわりに塗って陰影をつけ立体的に見せるために使われてきた化粧品。現代ではアイカラーとも呼ばれ,陰影だけでなくより色彩を強調するようになっている。目の化粧はすでに前3500年ころから古代エジプトやクレタ島で行われており,孔雀(くじやく)石を砕いた緑色の粉末や,硫化アンチモンなどから作った黒いコールで目の縁やまつ毛を彩った。これらは強い太陽光線や虫から目を保護し,眼病を予防したり,また魔よけなどの呪術的目的をもっていた。古代ギリシア,ローマにもこの風習はうけつがれた。しかし中世から近世にかけてはほとんどみられず,油脂に顔料を配合したアイシャドーが作られるようになったのは19世紀後半になってからのフランスで,主として舞台用であった。日本でも江戸時代中期ごろから歌舞伎役者がまぶたに紅をさしていたが,これが遊里から一般に流行していった。アイシャドーが日本に紹介されたのは第1次大戦前後,一般に知られるようになったのは1935年ころである。当時は主として夜の化粧用で,日常的に使用されるようになったのは第2次大戦後である。55年ころから種類,色ともに豊富になり,まつ毛に塗るマスカラ,目を大きくみせるために引くアイ・ライナーなどと併用されるようになった。
執筆者:高橋 雅夫
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