改訂新版 世界大百科事典 「アウソニウス」の意味・わかりやすい解説
アウソニウス
Decimus Magnus Ausonius
生没年:310ころ-394ころ
ローマ帝政後期の文人。ガリアのブルディガラ(現,ボルドー)に医師の息子として生まれる。トロサ(現,トゥールーズ)とブルディガラで教育を受けたのち,335年ころからブルディガラで文法と修辞学を教え,法廷弁論も行うかたわら,詩歌で名声を博した。365年ころウァレンティニアヌス1世に息子グラティアヌスの家庭教師として採用され,368年には父子の対アラマンニ戦に同行した。グラティアヌス即位後重用され,ガリア道長官(378ころ),コンスル(379)を歴任,一族も高位に就いた。同帝が奪帝マクシムスに倒されたのちは生地に帰った。ノラのパウリヌスとの文通を含む25の書簡や,モーゼル川をうたった《モゼラ》などの詩文集を残し,同時代史料として貴重であるが,アウソニウス個人の恵まれた境遇のためか,ゲルマンの脅威や宗教問題,奪帝による帝権打倒など,当時のローマ帝国を脅かしていた諸問題への危惧はあまり見られない。
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報