日本大百科全書(ニッポニカ) 「アタワルパ」の意味・わかりやすい解説
アタワルパ
あたわるぱ
Atahualpa
(1502ころ―1533)
インカ帝国最後の皇帝。第11代皇帝ワイナ・カパックの庶子。父の死後、新皇帝となった嫡子ワスカルと対立し、内戦のすえ、ワスカルをハウハに幽閉し、皇帝となる(1532)。同じころ、スペイン人征服者(コンキスタドール)ピサロは黄金のうわさを頼りに約170人の仲間を率いてインカ帝国の整備された幹線道路を南進していた。カハマルカで一行と会見した皇帝アタワルパは、スペイン国王への臣従とキリスト教への改宗とを要求され、その回答として、バルベルデ神父の差し出す聖書を地面に投げつけた。その直後、不意に攻撃された。インカ軍は初めて目にする騎馬、銃砲、鉄剣に驚き、大混乱のなかで敗走、アタワルパはあっけなく捕虜となった。身代金として「一部屋分」の金銀を提供するが、約束の自由は与えられず、逆に、ピサロ一行との連合を恐れてひそかに命じたワスカル殺害の罪などを問われ、火刑を宣告された。1533年7月26日、刑執行の日、アタワルパは火刑のかわりに絞首刑に処せられること、遺体は埋葬されることを条件にキリスト教の洗礼を受けた。「太陽の子」インカとしての遺体の復活を信じていたのである。
[青木康征]