アチソン(読み)あちそん(その他表記)Dean Gooderman Acheson

デジタル大辞泉 「アチソン」の意味・読み・例文・類語

アチソン(Edward Goodrich Acheson)

[1856~1931]米国の発明家電気炉を研究。人造ダイヤの合成実験中に、炭化珪素けいそ・人造黒鉛などの製法を発見。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アチソン」の意味・わかりやすい解説

アチソン(Dean Gooderman Acheson)
あちそん
Dean Gooderman Acheson
(1893―1971)

アメリカの政治家、国務長官民主党)。コネティカット州出身。エール、ハーバード両大学に学ぶ。政財界と関係の深い弁護士となり、1933年ルーズベルト政権の財務次官に任じられるが、金買上げ策に反対して辞任。第二次世界大戦中ふたたび国務次官補となり、連合国援助、IMFや世界銀行の創設に努力。1945年から国務次官としてトルーマン・ドクトリンマーシャルプラン形成に参画した。1949年から1953年まで国務長官を務め、その間NATO(ナトー)創設、日米安保条約締結など対ソ封じ込め政策の完成に努めた。引退後も対外政策の「識者」として政界に一定の影響力を有し、とくにジョンソン政権にベトナム戦争の早期終結政策への転換を提言した。メリーランドで死去。

[遠藤雅己]


アチソン(Edward Goodrich Acheson)
あちそん
Edward Goodrich Acheson
(1856―1931)

アメリカの発明家。1880~1881年にエジソンの助手、のち電気炉を改良し、人造ダイヤモンドをつくる実験の過程でカーボランダムを得た。1895年、無定形の炭素を通電による高温でグラファイトに変化させることに成功し、さらにグラファイトをガロタンニン酸で処理した微粒のコロイド状耐熱潤滑剤を発明した。1928年アメリカ電気化学会は、彼の寄付金をもとに、学界功労者に与えるアチソン賞を設けた。

[加藤邦興]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「アチソン」の意味・わかりやすい解説

アチソン
Dean Gooderham Acheson
生没年:1893-1971

アメリカ合衆国の政治家,トルーマン政権の国務長官(在任1949-53)。弁護士を経て,1933年F.ローズベルト大統領の財務次官に就任。ドル平価切下げ政策に反対し5ヵ月で辞任したが,41年国務次官補として再び公職に復帰した。その後国務次官(1945-47),国務長官として,トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランの立案に関与し,また北大西洋条約機構(NATO)設立に携わるなど,〈封じ込め政策〉の推進者として活躍した。しかし中国革命の成功によってトルーマン政権の責任が問われた際,J.R.マッカーシーらの対国務省攻撃の矢面に立たされた。この批判を鎮める目的もあって,朝鮮戦争においてはアメリカ軍を派遣して38度線以北に侵入させ(マッカーサーの中国本土攻撃論には反対した),またこの戦争の過程で対日講和推進とNATO強化に努め,〈封じ込め政策〉を世界的規模に拡大していくうえでも重要な役割を果たした。
執筆者:


アチソン
Edward Goodrich Acheson
生没年:1856-1931

アメリカの化学技術者,企業家で,炭化ケイ素(カーボランダム),人造黒鉛(人造グラファイト)の製法発明者。ワシントン生れ。貧しかったので10代から働き,1880年T.エジソンの研究所に勤務,そのかたわら電気技術を独学する。翌年パリの万国博覧会に出張,ひき続き各国での工場建設に従事する。帰国後独立し,90年には電気照明会社を設立,以後の旺盛な研究と企業活動には目をみはるものがある。土製るつぼ中での鉄鉱石の還元研究を行っていた際にたまたま炭化ケイ素が生成することを発見し(1891),その高温加熱による純粋グラファイト(1896),またコロイド状グラファイト(1906)等の製法を発明,電気化学およびその工業の発展に大きな貢献をした。1928年アメリカ電気化学会に彼の寄金によるアチソン賞が設けられ,みずから第1回の賞を受けた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アチソン」の意味・わかりやすい解説

アチソン
Acheson, Dean Gooderham

[生]1893.4.11. コネティカット,ミドルタウン
[没]1971.10.12. メリーランド,サンデースプリングス
アメリカの政治家。 1918年ハーバード大学大学院法科卒業。 33年財務次官,41年国務次官補,45~47年国務次官,49~53年国務長官。 H.トルーマン政権の対外政策の主要な立案者であった。アチソンは西ヨーロッパの経済復興と安全保障とを重視し,北大西洋条約を推進する一方,中国国民政府に対する援助政策は清算する方針をとった。 50年1月には,太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン-日本-沖縄-フィリピンを結ぶ線であると演説,南朝鮮を含めていなかったため,朝鮮戦争勃発後,共和党の政治家らから非難された。 51年対日講和条約の際のアメリカ首席全権。国務長官退官後法曹界にもどったが,歴代大統領の外交政策顧問として活躍。 国務長官時代の回想録"Present at the Creation"で 70年ピュリッツァー賞受賞。

アチソン
Atchison

アメリカ合衆国,カンザス州北東部ミズーリ河畔の都市。 1854年奴隷制度支持者によって築かれた町で,町の名もその指導者 D. R.アチソンに由来。町は,アチソン-トピーカ間に鉄道が開通して発展した。現在,各種工業製品や穀物,家畜の集散地である。人口1万 656 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アチソン」の解説

アチソン
Dean Gooderham Acheson

1893~1971

アメリカの国務長官(在任1949~53)。国務次官在任中トルーマン・ドクトリンに関与。国務長官就任後はソ連に対する「力の立場」を唱え,北大西洋条約,西ドイツ建設,対日講和条約,朝鮮戦争後の軍拡など一連の封じ込め政策を進めた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「アチソン」の意味・わかりやすい解説

アチソン

米国の民主党政治家。国務次官(1945年―1947年)としてマーシャル・プランを推進,国務長官(1949年―1953年)時はNATOの創設に尽力。朝鮮戦争前後の彼のヨーロッパ第一主義的外交方針は議会の批判を受けた。1951年の対日講和会議ではアメリカ全権大使。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「アチソン」の解説

アチソン Atcheson, George (Jr.)

1896-1947 アメリカの外交官。
1896年10月20日生まれ。ながく中国に駐在し,昭和20年マッカーサーの顧問として来日,GHQ外交局長となる。対日理事会では議長をつとめ,反共の立場をとった。1947年8月17日帰国の途中,航空機事故で死去。50歳。コロラド州出身。カリフォルニア大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のアチソンの言及

【サンフランシスコ講和条約】より

… 1948年11月,極東国際軍事法廷(東京裁判)が刑の宣告を行い,12月,A級戦犯7名を処刑するに及んで,対日早期講和の世論は国内外で高まり,ソ連は48年11月に続き49年5~6月,パリでの四国外相会議で対日講和の促進を要求し,またイギリス連邦諸国とくにオーストラリア,ニュージーランドは日本軍国主義の復活を恐れ,イギリスもアジア貿易における日本の競争力強化を懸念し,厳しい制限条項をもつ講和の早期実現を望んだ。49年半ばまでにアメリカは中国革命の進展をくい止めることができないと判断し,これに代わって対アジア政策における日本の役割を一段と重視するようになり,9月,国務長官アチソンはイギリス外相ベビンとの会談でイギリスの対日強硬方針を撤回させ,両国政府が対日講和の早期実現,ソ連の参加がなくても条約を締結するという単独講和方式をとること,講和後の日本に米軍基地を設けること,対日監視や過酷な賠償を課さないことで協力するという合意をとりつけ,共同歩調をとるようになった。50年2月,中ソは中ソ友好同盟相互援助条約を結び,日本軍国主義の復活に共同で対処する決意とともに対日講和の早期実現を強調した。…

【黒鉛】より


[人造黒鉛artificial graphite]
 黒鉛は広い用途をもつため,現在では工業的に製造された人造黒鉛が使用されている。アメリカのE.G.アチソンは,1896年に炭化ケイ素SiC製造用の炉を調べたところ,炉内の最高温度になる部位にSiCが分解して黒鉛が生成していることを発見,アーク炉により人造黒鉛を製造することを考えた。このため人造黒鉛をアチソン黒鉛ともいう。…

※「アチソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android