イクター制(読み)いくたーせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イクター制」の意味・わかりやすい解説

イクター制
いくたーせい

10世紀なかば以降のイスラム王朝にみられる基本的な国家制度村落土地分与地(イクターiqa‘)としてもっぱら軍人に与えられたことから、軍事イクター制ともよばれる。イラクブワイフ朝に始まり、次のセルジューク朝で軍事奉仕の代償として授与されることが定められ、これがアイユーブ朝マムルーク朝、さらにはオスマン帝国(ティマルとよばれた)にまで受け継がれた。イクター保有権は法的には徴税権に限られていたが、現実の保有者は農民や土地をかなり恣意(しい)的に支配していた。しかしその保有は世襲を原則としていたわけではなく、一代限りのことも多かったから、軍人が地方に土着権力を形成するまでには至らなかった。

佐藤次高

『佐藤次高著『イスラム封建制度論』(『岩波講座 世界歴史 8』所収・1969・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「イクター制」の解説

イクター制(イクターせい)
iqṭā‘

イスラーム諸国の土地分与・封土制度。(1)荒地,未耕地を分与して耕作させ,そこから納入される地租国庫収入をふやすもの(世襲),(2)功臣兵士などに国庫からの現金支払いの代わりに土地の生産物を与えるもの(現職にある期間だけ)があった。9世紀中頃からトルコ人傭兵がふえると,給料として土地を与えることが多くなり,ついにセルジューク朝ニザーム・アルムルクは兵士に忠誠を尽くさせるため世襲的領地の分与を制度化した。これはエジプトマムルーク朝に採用され,オスマン帝国ティマール制に発展した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「イクター制」の解説

イクター制
イクターせい
iqṭā‘

イスラーム諸国の土地分与制度
9〜10世紀にブワイフ朝のもとで始まった制度で,初めは功臣・軍人に在職期間中だけ,現金給与(アター)の代わりに土地の徴税権を与えたものだった。その後セルジューク朝時代に一般化し,世襲による分与地制度へ変化した。土地保有者はイクター収入を用いて兵士を養い戦時にはこれらを率いて従軍することが義務付けられた。この制度は,その後のマムルーク朝やオスマン帝国でさらに発展した。

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世界大百科事典(旧版)内のイクター制の言及

【イスラム】より

…国庫収入の低下はアター体制の維持を難しくする。10世紀半ばに軍人に対して直接土地の支配と管理をゆだねるイクター制が成立したことは,このような旧体制の完全な崩壊を意味していた。都市に住むイクター保有者(ムクター)は代官を派遣して農民から租税を徴収し,その収入を用いて配下の兵士を養うことを義務づけられていた。…

※「イクター制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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