日本大百科全書(ニッポニカ) 「いざなぎ景気」の意味・わかりやすい解説
いざなぎ景気
いざなぎけいき
1965年11月から70年7月まで続いた大型景気。第二次世界大戦後の日本経済は、73年末の第一次石油ショック(オイル・ショック)を境に高度成長から安定成長へと転換したが、石油ショック以前における6回の好況のうち最長がいざなぎ景気で、56か月間続いた。いざなぎ景気に続く不景気は1971年12月まで17か月続き、両者をあわせた1景気循環としても最長である。
いざなぎ景気の特徴の第一は、それまでの高度成長が輸出と民間設備投資主導であったのに対し、建設国債を原資とした公共事業すなわち財政投資が新たに参加したことである。しかし当時わが国の国債市場がまったく未整備であったので、国債を民間金融機関がまず引き受け、一定期間後に日本銀行がそれを買上げる買いオペレーション(買いオペ)が行われるようになった。同時に、証券会社が個人、企業に国債を売る国債市場も開発される。こうした情況から、「銀行よさようなら。証券よこんにちわ」という直接金融方式をたたえるコマーシャル(CM)がはやった。第二にこの間、4次にわたる資本自由化措置が行われ、73年4月の第5次措置で自由化はほぼ100%完了となる。資本自由化とは国際資本移動の自由化のことで、この第二の開国ともいうべき事態に対応すべく日本企業が行った行動の一つが大型合併である。流入してくる海外巨大資本に対抗して、企業規模拡大、競争力強化を目ざした大企業どうしの合併が盛んに行われた。日産自動車とプリンス自動車、第一銀行と日本勧業銀行、日商と岩井産業、極め付きが富士製鉄と八幡製鉄(1970年4月)である。それがいざなぎ景気の第三の特徴である。第四にドル危機があげられる。1960年代アメリカドルはベトナム戦争等によって弱体化の一途をたどり、ついに71年8月、金とドルの交換を停止し、同年12月スミソニアン合意で1ドルが308円の新為替レートになった。しかしドル危機は解消せず、73年2月変動相場制に移行して現在に至っているわけである。
[一杉哲也]
『有沢広巳監修『昭和経済史』(1976・日本経済新聞社)』▽『内野達郎著『戦後日本経済史』(講談社学術文庫)』