フランスの作曲家。パリ音楽院で学び,1919年カンタータ《詩人と妖精》でローマ大賞をうける。オネゲル,ミヨーと音楽院で僚友だった秀才だが,20世紀の音楽の歴史の曲り角にあって彼らとアカデミズムへの反逆をともにせず,継承をえらんで,伝統に即しながら新しい感覚をもりこんでゆこうとする折衷的な作風を採った。そしてときに耳を刺すきしむ響きもまじえながら,総体としては機知にとみ,〈フランス的明晰〉と優雅さ,良趣味の尊重をしめす作品の数々を生んだ。いかにもラベル後の世代の俊秀とよぶにふさわしい彼であったが,その音楽の根底にみとめられるアカデミズムは,ローマのメディチ荘館長(1936-40,1946-60),国立歌劇場連合総裁(1955-56),アカデミー会員(1956)といった公的な要職を占めるにいたったことと,無関係ではないだろう。交響的組曲《寄港地》,ピアノ組曲《物語》(ともに1922),喜遊曲(1931),フルート協奏曲(1932-34)あたりが日本でよく知られた作品だが,ピアノの小曲から大規模なオペラまで多くのジャンルを手がけている。
執筆者:平島 正郎
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フランスの作曲家。パリに生まれ、同地に没す。パリ音楽院に入学し、作曲をビダルに師事。1919年ローマ大賞受賞。その後作曲家として活躍するとともに、ローマのアカデミー・ド・フランスの館長(1937~60)を務め、第二次世界大戦後には国立オペラ劇場連合のための総監督などを歴任。56年にアカデミー会員に選出された。彼は鋭い感覚と自由な想像力を駆使して、ユーモアと風刺、あるいは気品と知性にあふれた多くの作品を書いた。代表作には交響組曲『寄港地』(1924初演)、オペラ『アンジェリク』(1927初演)、ピアノ組曲『物語』(1917)などがある。
[寺田兼文]
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