ウェークフィールド(その他表記)Edward Gibbon Wakefield

改訂新版 世界大百科事典 「ウェークフィールド」の意味・わかりやすい解説

ウェークフィールド
Edward Gibbon Wakefield
生没年:1796-1862

イギリスの経済学者で植民地政治家。1834年に南部オーストラリア植民のための協会を組織。次いで〈ニュージーランド土地会社〉をロンドンで組織,その経営にあたった。イギリス政府ははじめ協力を拒否したが,彼は39年独力で原住民から土地を購入し,〈トーリー号〉を派遣して植民者を送り込んだ。しかしフランスがこの島の領有を企てるに及んで,イギリス政府もこれをニュー・サウス・ウェールズ植民地の一部として公認した。49年,現地のカンタベリーに国教会を設立,54年にはニュージーランド総督の特別顧問となる。このような実践を踏まえて,近代的な植民理論を完成した彼は,さらにそこから独特の経済理論を展開した。とくに,植民地の経験から,賃金労働者がいなければ資本は資本として機能しないことなどを強調,また本国における資本主義の諸矛盾を植民地の拡大によって解決することを主張した。主著は《イギリスとアメリカ》(1833)。
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ウェークフィールド
Wakefield

イギリス,イングランド北部にあるウェスト・ヨークシャー州都地名はwake(守護聖人祝祭劇)の開催される場所の意。人口32万1200(2006)。コルダー川の中流に位置し,西ヨークシャー工業地域の代表的な羊毛工業都市リーズ南方にあり,炭鉱や化学・機械工業も立地し,周辺農村の市場中心でもある。サクソン時代には王室荘園の中心であったが,1460年にはばら戦争戦場となり,ヨーク公リチャードが斬首された。この直後にフランドルからの移民が定住し,すでに成立していた羊毛工業を発展させた。都市としての法人化は1848年と遅い。小説家G.ギッシングの生地でもある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェークフィールド」の意味・わかりやすい解説

ウェークフィールド
Wakefield

イギリスイングランド中北部,ウェストヨークシャー地域南東部の都市。周辺を含めてウェークフィールド地区を構成する。マンチェスター東北東約 55km,ペナイン山脈東麓にあり,コールダー川に臨む。ウィリアム1世による土地調査書『ドゥームズデイ・ブック』(1086)に言及されており,1308年頃には羊毛市場が置かれ,のち織物業の中心地として発展した。今日でも織物工業が盛んだが,食品加工業,機械工業,金属工業なども発展。オセット,ノルマントン,カッスルフォードなどの町があり,エア・コールダー運河によりハンバー川と連絡する。地区面積 333km2。地区人口 31万5172(2001)。都市人口 7万6886(2001)。

ウェークフィールド
Wakefield, Edward Gibbon

[生]1796.3.20. ロンドン
[没]1862.5.16. ニュージーランド,ウェリントン
イギリスの政治家。入獄の体験から刑法の改正運動を起した。オーストラリア南部を流刑者ではなく自由植民者の居住地にする運動を主唱し,ニュージーランド植民をも主張。 1839年カナダに関するダラム報告の企画者の一人となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェークフィールド」の意味・わかりやすい解説

ウェークフィールド
うぇーくふぃーるど
Wakefield

イギリス、イングランド中北部、ウェスト・ヨークシャー大都市県にある都市。リーズの南方約15キロメートルに位置し、商工業が盛ん。人口31万5173(2001)。産業革命期までの約700年間、ヨークシャーの毛織物工業と商取引の中心地。革命期以降その地位をリーズおよびブラッドフォードに奪われた。今日は工業業種も多様化している。14世紀に建築されたチャントリー・チャペルは橋の上の礼拝堂として有名。

[久保田武]

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