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イギリスの小説家。ウェークフィールドの薬剤師の子として生まれる。子供のころから秀才の誉れが高かったが、不幸な結婚ののち長い間ロンドンの裏街で極貧の文士生活を送った。19世紀末の社会の日陰の面をリアルに描いた小説を書いたために、わずかな識者からは高く評価されたが、一般文壇からは完全に黙殺された。二十数年間に26の作品を世に出したが、代表作『三文文士(さんもんぶんし)』(1891)は、彼のような誠実な文学者の苦しみと悲惨な境遇を描いた小説である。『群衆』(1886)を書いたときに、思わぬ収入を得て、若いころからあこがれていた古典の故郷のギリシア、イタリアを訪れることができたが、晩年健康に恵まれず、保養のために移り住んだ南フランスで46歳の生涯を閉じた。『ディケンズ論』(1898)、晩年の自伝的エッセイ集『ヘンリー・ライクロフトの私記』(1903)、『蜘蛛(くも)の巣の家』(1906)はよく知られている。第二次世界大戦後、再評価の気運が高まりつつある。
[小池 滋]
『土井治訳『三文文士』(1969・北沢図書出版)』
イギリスの小説家。19世紀イギリス(とくにロンドン)の下層貧民の悲惨な生活を赤裸々に描写した小説を多く発表したが,当時の読者の趣味に合わぬため,死ぬまで大衆の人気を得ることなく,不遇のまま病気療養中の南フランスで死去した。代表作としては19世紀末のイギリス文壇の実情や,生活苦と戦う下積み文学者の生態を描いた《当世グラッブ街》(1891,邦訳《三文文士》)がある。少年のころから学問,とくに古典文学に秀で,ギリシア・ラテン文化にあこがれていたが,厳しい現実は彼に学問の世界に悠々と浸ることを許さなかった。自叙伝エッセーと夢を描いた創作の奇妙な混合《ヘンリー・ライクロフトの手記》(1903)は,春夏秋冬の章に分けて,自然と人生を端正な英語でつづったもの。日本でも明治末期以来多くの翻訳が公刊され,原文は多くの英語学生に愛された。
→グラッブ街
執筆者:小池 滋
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